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第38回(2009.04.26)和の会


 <物質と精神について>

物質なる葉、人の心を、惑わし曇らすのみならず、ときには慰め、潤いを、与えて癒す ありがたきもの。
なれど過剰の物質金銭、心を汚すの始まりなり。
多過ぎ、余るも、欲は絶えざる。少なく足らぬも、卑しく貶む。
適度の物質、豊かさあらば、人は満ち足り感謝をすべし。
なれどとまらぬ欲望なれば、一つを得れば、また一つ、無駄に求めて、飽くなき欲求。
一度得し物、金銀財宝、人に分つも修行となるを、少しの損も 無料奉仕も、惜しがり、捨て得ぬ貪欲さ。
あの世に持ちて帰れぬを、この世の汚れとなるばかり。己の魂、心を汚す、素は少なく、なきほどよけれ。
さにて精神、物質との、違いはただに心の奥の、神の存在表わすものなり。
精神見えねど、確かにあるらん。人の心は見えねども、なしと思うはおらぬ筈。
なれば神をも、見えざれど、あるを信じぬ、不条理ならずや。
精神もちて物質変わらん。物資変わりて、精神変わる。
精神、物質切り離せぬもの。物の奥にも魂ありて、精神伴い、生きておるもの。
生きておらぬは抜け殻なれば、抜け殻のみの増えしこの世よ。
今の物質、書画骨董に、真の魂宿らねば、人の心もますます寂れて、さらに侘びしき世となりぬるを。
物の心を大事にするもの、必ず精神豊になるらん。精神豊かに満ちたる者は、必ず物をも愛してなまぬ。
愛と欲とは異なれり。物を愛すは己の魂、心も養い、育てるものなり。
物の心を愛する心、そを育みて養えよ。物を愛すは卑しくあらず。
卑しき心は物をも愛さぬ。ただ求めるのみなり、増やすのみ。
増やして捨てて、さらに求める。尽きず、切りなし、終わりなし。
心の豊かさ、潤いは、物さえ変えて、高めてゆくもの。
心貧しき者には、卑しさ、浅ましさのみ集まりゆかん。
現世利益に曇りし目には、真の価値も見えぬものなれ、曇りの素のみ増えて増しなん。
心高めて、遠ざけよ。心を汚す素となるもの。
清く高めて、無欲となれよ。始めは辛く、難く思えど、越えて過ぎれば、心地よからん。
清浄無垢の心となれよ。さなる精神、魂は、物を求めず 心を求め、物にてさらに心高めん。
物の心を汲み得る者は、物に心を惑わされず。物は心を映し顕わす、己の鏡と同じもの。
己に不要な無駄多からば、無駄な物にも囲まれて、心は虚ろに、魂抜けなん。
心を磨く物を求めよ。心を高める物のみ欲せよ。
始めに苦しく、抵抗あれども、必ず心は昇華して、無駄を好まぬ高みに上がらん。


要約   2009.05 ひふみともこ


第37回和の会を終えて。

 事務局からのお知らせです。

今回は「物質と精神について」を学びました。物が溢れ満ち満ちている現代社会の中で私たちが本当に必要としているのは物なのか、精神なのかー両方ともなくてはならないしーなかなか難しいですよね。
そのヒントとしてひふみ先生から具体的にご提示いただいたのは次の通りです。

明治初期に来日し大森貝塚を発見した考古学者、エドワード・モースの言葉「日本に来た外国人が数ヶ月いると気がつくことがある。日本人にすべてを教える気でいたのに逆に教えられる。日本人は生まれながらに善徳や品性を持っているらしい。衣服の簡素、家庭の整理、周囲の清潔、自然及び全ての自然物に対する愛、あっさりして魅力に富む芸術、挙動の礼儀正しさ、他人の感情に就いてて思いやり、、、、、、これらは日本の最も貧しい人々も持っている特質である。」


またひふみ先生の著書「神から人へ・上巻」1999年9月3日の記述についても全員で読み合わせいたしました。

お疲れさまでした。