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第39回(2009.06.27)和の会






 2000年3月10日 神皓記より

 神からひとへ。
 神から人へ、伝えて残せと教えしことごと、全てを伝えて、広めてゆけよ。
 神の仕組みも始まりて、そなたの霊行、進みてゆくなり。
 なれば本日、問いはいかなる。

 (人の行える救いについて)
 人の行う救いとは、一つは神との縁結ぶこと。
 一つは神のことばを伝えて、神の心に高めゆくこと。
 神のことばを伝えるためには、神のことばをよく知りて、己の感情思考を交えず、ただそのままに伝えることなり。

 なれば神のことばを知らば、人の心は浄化され、要らぬ疑問や困惑を、きれいに落として、高まりゆくなり。
 なれば日々にも霊行を、少しの時にて構わぬ故に、ただに行い、心澄ませよ。

 人を救うの霊行は、己の力に恃む(たのむ)になく、ただに神の御心に、任せて委ねて、待てばよし。
 人を救う最も易しく、誰にもできる人の救いは、神の心を伝えることのみ。
 人間心の同情憐情(れんじょう)、我を出す元なり、始めなり。人を救うは、その者の、苦痛を和らげ癒すにあらず。
 この世の苦しみ悲しみは、神の恵みの一つにあれば、人間心の憐憫で、救うに見えども、かえりて邪魔なり。
 神の心は一人一人の 魂浄めて高めるためなり。

 なれば神の御心汲みて、神の存在、み光を、示し教える、そが救い。
 そのとき人は真の救いを、真の感謝を取り戻すらん。

 神とのご縁を深く結びて、離れず逃げず、ただに素直に、神の心のままに働く。
 苦痛を和らげ悩みを解くは、神の心に任すべし。

 なれば人のなすべき救いは、一に(いつ)神の存在を、伝え目覚ます、それのみでよし。
 人間心の無駄な頑張り、自分が直して救わんと、さなる偽善は慎むべけれ。
 人の心の安らぎは、神の存在近くに感じ、守らることを信じるときなり。

 人の全てにおわする神を、内なる心の奥底の、眠れる神を起こしてゆけよ。
 光を与えて気付きし瞬間、神の存在、目覚めは始まる。
 全ての目覚めを、つながりを、一つのほころびなきまでに、つなげて広げよ。結びて回せよ。
 動きの止まりし独楽(こま)ならば、倒れて転び、働き終わる。なれば人との神縁は、止まらず、回り、巡りて動く。
 一つの見えぬ神縁を、早くに気付かせ、結びてゆけよ。なれば神との縁は強まり、立て替え直しも進みゆかん。

 さにて本日、神との縁と、人の救いのことを説きたり。
さらにも問いて、深めてゆけよ。神のことばを、心を、意図を。
さにて、終わる。



要約   2009.07  ひふみともこ
もしあなたが病気で苦しんでいるとき、友達に「頑張ってね、きっと良く治るよ」と言われたら、あなたの心は慰められますか。
恐らく、一時的には気持ちが軽くなるかもしれません。
でも、それは魂からの安らぎになることはあまりないのではないでしょうか。
人の行える救いの多くは、こうした慰めや励ましのように一時的な気休めにしかならないことが多いのではないようです。生老病死、全てが神の恵みと言われています。
それはなぜでしょうか。
人は老いと直面する時、病気になったとき、初めて生きることを真剣に考え、生きることの素晴らしさ、人の愛の尊さを心から感じることができるようになるのかもしれません。
そしてそこに神の愛を見出した時、人は心から、魂の奥から救われていくのだと思います。
人の行える救いと、神のなせる救いの違いは、このようなことではないでしょうか。

第39回和の会を終えて。


 事務局からのお知らせです。

今回は身近に病気をかかえている方々にとって、とても深く心に響く勉強会だったと思います。
自分になにができるか、、何をなすべきか、、一人一人が違う考えや思いがあると思いますが、本日の神様からのおことばをしっかりと読み直してみたいと思います。


お疲れさまでした。