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第44回(2009.12.23)和の会


(この世に一切偶然はないと言います。本当でしょうか.全て神様が仕組まれているのでしょうか。全て神様のご計画通りなのでしょうか。それは狂いもなく進み、実現してゆくものなのでしょうか。そうだとすれば、人間は何をしても無駄、なにもしなくともよい、ということになるのではないでしょうか)

さにはあらず。そなたも重々知りしように、神は定めず.一切決めず。
なれどこの世に起こり来るは、全て原因結果の法則。なれば人の行いは、原因となりて、結果を起こさん。
その仕組みのみ、定めなば、神は人に任するのみ。人の世界の事象現象。全ては人のなせる業。なれば人は戒めよ。
よくよく考え行えよ。なれど任せよ、神の御心。全てを決めるも、そもまた神なり。

(昇華や、成功失敗、みんな神様が決められ、許されることなのでしょうか)

さにあらず。そもまた仕組みのままにて起こらん。なれど神の許しとは、その加減なり、程度なり。
神の許さぬ結果もあらん。神の認めぬ現象もあり。そのとき神は御自らが、決めて許され、ことを進ます。

再び、見守り、待ちておられる。なれば人に、無駄はなし。徒労にあらず。努力せよ。
全ては神の仕組みあれど、進めてゆくの責は人。
悪しき原因作りなば、必ず悪しき結果を得なん。善きことなせば仕組みも変わり、さらに追い風 吹かせて進めん。

艱難受難を恐るるなかれ。神は全部を見通され、ことの成就のその前に、幾多の試練を課して証さる。
なればそに負け、諦むなかれ。全ては神の御心なりと、思い忍べよ、耐え抜けよ。

一切必然。偶然ならず。全ては原因結果にあらば、幸運不運は、上辺のみ。
ことの奥底、神意あり。そを読み取れよ。委ねゆけよ。無心の境地に至る努力を。

細かき事象に煩うなかれ。囚われ拘る心の結果は、つまらぬ妄想、疑念、執着。
わからぬ先のみ追いかけて、今を生きるが大方なり。迷いためらい、進もうとせで、今のこの世に留まりて、昔ばかりを省みる。そもまた執着。向上あらず。

結果を気遣う心労も、過去のみ悔いる執念も、今を無駄にし、成算あらず。
なれば偶然、必然は、全て人の努力と想念。
偶然なりと軽く考え、拘り捨てるも一つなり。

なれどいずれも忘れてならず。最善尽くして、結果を待てよ。
全ては仕組まれ、法則なれど、さらなる実りを得んためには、努力を惜しむ横着捨てよ。
神を試すは、不遜ならずや。神の心を秤にかけて、結果を予想し、機嫌を占う。さなる軽薄、卑小な浅知恵。

神には通じず。戒めるべし。
人の無償の努力と奉仕。無欲の行こそ、神は愛づ。
計算ばかりに長ける狡知は、早くに直せよ。改めよ。
神の喜ぶことをなせよ。神のお役に立つことをのみ。
それのみ想い、励みなば、いつか恵みもいや増さん。願いも叶わん。努力も実らん。

全ては神の御心なれば、人は神の子。素直になれよ。我を取り、捨てよ、執着を。
軽き御霊となりぬれば、清く澄みたる魂ならん。
妄想幻想、思い込み、全てが煩悩。悪しき習慣。

なれば先ずは善き循環を。一度想念変わりなば、必ず循環正されて、善きことばかりが起こり来るなり。
さなる努力を。始めの一歩を。さらなる精進、忍耐を。それのみ祈る、神の日々なり
さにて




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要約   2009.12.26 ひふみともこ
原因結果の法則は3次元世界の理解を超えたものです。もし何か不幸なことが起こったとき、その原因を深く考え、その不幸が魂の成長のためにあることに気づくことが大切ではないでしょうか。
また、過去への後悔や、未来への不安に明け暮れるのではなく、今を精一杯生き、ことばを浄化していくことで、善循環の第1歩が始まります。
神の願いは、人の魂の浄化と霊性の進化それのみであることを忘れないようにしたいものです。

第44回 和の会を終えて。


 事務局からのお知らせです。


今月は「神様は全てを仕組まれているのか」について学びました。
我を捨て、清々しい気持ちで物事に接し、将来の結果を気遣ったり、過去を悔いてばかりいるのではなく、今を大事に生きるということが大切なんだという気がします。
会終了後の忘年会も予想以上のお料理で和やかなうちに終了しました。
皆様に感謝です。
2009年も無事、終了しようとしております。ありがとうございました。

2010年からは土曜日に和の会が予定されておりますので宜しくお願いいたします。

お疲れさまでした。