第47回(2010.3.20)和の会
(食事の仕方についてお教え下さい。食べてよい物、よくない物、肉食などについては、どのようにすればよいのでしょうか)
肉を食べるも、野菜を食すも、全ては人の体の素なれ、何を摂りても、全て可なり。
なれど心し、気を使うべきは、それその物を頂くときの、食への感謝と、動植物への感謝といたわり、そを持ち食せよ。
さなくば毒なり、腐りとなりて、体内汚して、病となるらん。
なぜとあらば、全ては神の作しものなれ、神への感謝を先ず第一に、その次忘れず、心すべきは、その身(実)を捧げる生命たちへの、同情、優しさ、そが大切なり。
さなる心で頂くならば、全ては体の滋養となるらん。
なれど食欲、そもまた汚れ。ただ徒に食べるは非なり。
ただ食欲と執着にて、己の嗜好を喜ばすだけの、暴飲暴食、そは慎めよ。
最も体を汚すものは、食への執着、強すぎること。
体の自然の欲求と、心の底より感謝せんとき、食は体の養分なるらん。
なれど、ただ徒に食を漁るは、体の毒なり。汚れとなるのみ。
体の汚れを浄めるためには、心の汚れを取るが始めよ。
さならずば、何をいただかんとも、体を養う素とはならざる。
食を食べるは、己の体を、さらに浄めて強めるためなり。
何を食べても、何を飲みても、そに拘るは、汚れの素なり。
肉を食すが害にはあらず。肉には肉の、力あるなり。
なれど肉の力に耐える、己の体の体力なくば、肉は汚れを体に残し、体を蝕むものとなるらん。
(自分の体に合った食べ物、とはどのような物なのでしょうか)
そもまたそれぞれ。普遍はあらず。なれど、世間の常識にある、体の衰え、強さに応じて、
真に欲する物にあるなら、そがその者に適する食なり。
(味覚に囚われてはいけないのでしょうか。偏食はよくないのでしょうか)
全ては陰陽。人によるもの。
味覚というも、囚われならずや、己の味覚や嗜好というは、心の表れ、囚われなれば、そに侵されて負けぬる者は、先ずはそに克ち、目覚めるべけれ。
偏食なるも、同じこと。ただそれのみを好むというは、心のどこかに狂いがあるらん。
(心の狂いを正せば、自ずと体に合った食事になるでしょうか)
さなり。心のどこかに病持つ者、心の虚しく、満たされぬ者、そは肉体も衰えゆかん。
体の衰え、衰弱は、巡りて心をさらに淋しく、侘びしき思いと引き下げゆかん。
なれば気を付け、心強めよ。心高めて、喜び溢るる、さなる健やか、健康なるは、無駄な暴飲偏食もなく、ただ少量を感謝をこめて、頂き、満たされ、汚れも溜まらず。
よく心せよ、体の健康。体ばかりに目を向けるなよ。
先に正して、高めゆけよ。心と体と、魂と。
全てが一体、不可分なれば、その一部のみを高める能わず。
(体の陰陽、食の陰陽について、お教え下さい)
そはまた長き答えとなるらん。明日にも答えん、教えてゆかん。
今日には今日の一つの問いにて、よく考えて納めてゆけよ。己の肚に、心に、体に。
一度に欲張り、多くを知りても、消化不良となるばかりなり。
己の身丈に合う量を、知ればそれにて、満足するべし。
腹八分目、六分目。古人の知恵にも学ぶべし。
さにて
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要約 2010.03 ひふみともこ
肉食は是か非か。宗教によって食べていいもの悪いものが決められている場合もあります。
動物は、生きている限り、他の生物を食べなければ生きていけません。
人間は自然からたくさんの恵みを頂いていますが、人間が自然にお返しできることは何一つないのです。
言い換えれば人間は何の犠牲を払うこともなく、一方的に自然の恵みを頂くばかりなのです。
そうしたことが許されるのは何故でしょうか。
大切なのは何を食べるかということだけではなく、どのように食べるのかということです。
感謝すること、分け合うこと、楽しむこと。
そうした食事の仕方は人間だけに可能なことです。
食事を通して、自然に、命に、宇宙に感謝し、そして命のつながり、魂のつながりを意識すること。
今、傲慢になりつつある人間の食事のとり方一つからも、私たちは神様のご意図に思いを馳せることができるのであり、それがせめてもの恩返しにつながるのだと思います。
第47回 和の会を終えて。
事務局からのお知らせです。
今月は「食」について学びました。
現代は世界中のもの、季節に関係なくいろんなものを好きなだけ食べることが出来ます。
土地土地に合った食べ物を食することがとっても大事なことのようですし、編食だけでなく、心も偏らないようにする。
体の健康とこころの健康、そして己の霊性を高めることがとっても大事であると知らされました。
お疲れさまでした。