第49回(2010.5.22)和の会
(学問が悪とおっしゃられるのですが、学問がなければ文明も発達せず、人間はみな、動物と同じような暮らしをしなければならないのではないでしょうか。学問の存在の全てが悪なのですか。許される学問とはどのようなものですか。また物質文明も、どの程度までの発達をお許しくださるのでしょうか。それはいつ頃の時代でしょうか)
学問全てが悪にはあらず。学問なるにも二つあるらん。心の成長促すものと、体の成長支えるもの。
そは二つとも、神の喜び、認め許さる学問なるらん。
なれど、そもまた見分け難く、人の心を腐らせ汚す、さなる俗悪、偽もあらん。
人の心の成長は、ことばと感謝の想念により、自ずと豊かに実りを蓄え、次なる世代も潤わさん。
なれど、心の害となるもの、そは今の世の、現世のみの、享楽繁栄、そのみを求む。
人への感謝も抱くことなく、ただ物のみに価値を見出す。金や物質、権利のために、競い、争い、驕り、高ぶる。
人の繁栄、衰退を、物の有る無し、金銭の多寡、さにて測るを恥とせず。
さなる学問教養は、神の嫌わる学問、人知。なれば神には無用の長物。かえりて邪魔なり、迷惑の種。
神の望まる学問ならば、人の心を成長させ、豊かに広がり、栄えるばかり。
なれど偽物、外見のみの、口先ばかりの、はったり多し。
学問なるは、心の発達、情緒安定、豊かな優しさ。さなる心へ 導きゆくもの。
なれば、神の望まる学問とは、ただ徒に物質のみの、肉体のみの学にはあらず。
自然の運行、摂理に従い、そを顕わして、行いて、神の存在、あの世を映す、高次の学問、そを求めらる。
なれば今の世、現界にては、まだ難しく、時はまだ来ず。なれど次の世、来世においては、必ず先人、先駆けたちが、この世を導き、次元を上げて、残されし魂、引き上げて、物質超えし 学問教えん。
なれば今には、学問なるも、次の世にては、何の価値なし。価値あるものは、物質ならず。真の価値は魂ならん
清き魂、乱れぬことば、神への思いと感謝の心。そに支えられ、育まれて、発達するが真の学問。
なれば今の世、物質のみは、無闇に発達、進化しぬれど、車の片輪、精神は、忘られ、捨てられ、省みるなし。
なれば、いかにも、物質文明、人の進化の表れなれど、ただそれのみには不足なり。
物質使う人の心に、魂なくば、物質乱れん。汚れは移りて、物質狂わし、巡りて、心に、汚れを積まん。
物質文明、その発達は、神の望めし文明は、心の汚れを深めるのみの、神への感謝を失わすのみの、さなる今世の文明ならず。
文明なくば、動物なるか。さにはあらぬぞ、あやまつなかれ。動物植物、みな恵み。神の慈愛を受けるものたち。なれど、彼らに欠けしものこそ、ことばならずや、文字ならざるや。
さにて人間、別なる恩恵、神の慈愛を、さらにも受けて、神のみ役も賜るべきもの。
物質なくとも、ことばと文字にて、人は互いの心を伝え、互いに浄め、高め合い、高次の物質文明さえも、発達させうる術を持ちしを。
物質のみが豊かさならず。なれどこの世は、物質世界。物質あらば、心を安らげ、楽しきことも多くあらん。
物質あらば、悟りも易く、気付くも早く、進みゆかん。さなる物質、文明ならば、神は喜び、後押しなさらん。
なれど、今の世、現界にては、物質のみの進化繁栄。悟るを遅らせ、防ぐるのみ。
挙げ句にあの世の存在否定し、人の心を惑わす学問。曇らせ、汚して、さらに深めん。人の心の迷い、疑い。
宗教なるも働かず、かえりて拍車をかけゆくありさま。嘆くも虚しく、はかなきことよ。
神の賭けらる最期の希望よ。そが現在なり、この時なり。
神のみ声を知らせんと、最期の機会を人類に、許し、賜り、待ちてみん。
物質 金に、惑わさるるなよ。人の心の平穏こそが、心の豊かさ、ゆとりならずや。
神への素直な感謝と安らぎ。そを第一に、専一にせよ。さにて神の望まる学問、物質文明、そもわかりなん。
心を忘れし文明は、いつの時代も許す能わず。なれど心と魂の、浄化を助くるものにあらば、
いかに発達繁栄すとも、神は喜び、賀し祝わん。
さにて終わる。明日にも問えよ、深き問い。さにて人への示しとされよ。生じん努力を、祈りおるなり。さにて
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要約 2010.05 ひふみともこ
現代の文明の発達は、私たちの生活を豊かで便利にしてきました。
しかし、その豊かさは物質的な豊かさであり、人の心を豊かに幸せにしているとは思えません。
また、便利であることが必ずしも人の健康に役立っているともいえないようです。
人の心の豊かさとは何でしょうか。
簡単に言えば、それは、優しさや思いやり、謙虚さ、何かを敬う心、小さいことにも感謝した
り、感動したりする心なのではないでしょうか。
医学や科学が発達し、文明が栄えていくことは素晴らしいことですが、心の存在・魂の存在を無
視した発展は、いつか破綻することでしょう。
そして、一部の人間だけの贅沢や物質的豊かさのみを追求していくこともまた、神様の望まれる
学問や文明の在り方ではありません。
それぞれの生命が全体で1つの完全な生命であるならば、全ての生命が共生・共存・共栄してい
くことを促すような学問こそが、神様の望まれる学問なのではないでしょうか。
第49回 和の会を終えて。
事務局からのお知らせです。
今月は「学問・文明は悪か」について学びました。
学問全てが悪ではなく、心の成長促すものと、体の成長を支えるものは神様の喜びだということ。
学問というものは、学ぶことで感謝の気持ちを抱き、人は優しさ、謙虚さをもたなくてはいけないということ。
そして、ことばをもち、文字を持つことで思いやりの心や分かち合う表現ができるのが唯一人間であるということ。
物質にとらわれることなく、目に見えないものにこそ畏れる気持ちが必要だということも学びました。
おつかれさまでした。