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神誥記
2000年6月25日「物質、金銭で魂を磨くこと」について

(物質や金銭は、諸悪の根源でしょうか。物質や金銭によって魂を浄めることは不可能でしょうか)

さにあらず。物質、金銭、悪ならず。人の心を貶(おとし)むは、心の奥の我欲我執よ。

なれば心の清き者なら、物質金銭、悪ならず。かえりて己の精進を、手伝うものなり。進めるものなり。

なれば悪を嫌うといいて、物質金銭なくすに意味なし。人の肉体、物質なれば、物質なくば生は保てず。

なれば物質大切にせよ。物質愛し、感謝せよ。なれど物質欲するのみにて、いくらありてもさらに求むる。

さなる卑しき浅ましき、我欲の虜(とりこ)になるなかれ。

人は己の生を維持する、わずかのゆとりに満足し、ささやかな富を歓べよ。

ただ徒(いたずら)に物質増やし、独占するは、我欲の奴隷。感謝もなくば、喜びもなし。

ただ所有して、使いもせずに、資源を無駄にし、環境壊(こわ)す。

さなる物質文明は、やがては滅びん。壊滅せん。

今の誤り、狂いの素は、物質のみの価値判断。物質あるが尊くて、物質なきは軽んじる。

物質 所詮は道具なり。利用し使うことにより、初めて価値を発揮せん。持つことのみには価値もなし。

なれど今の世、腐敗と退廃。物に使われ、心を滅ぼし。

神の望みは、感謝と喜び。なれど金持ち、資産家たちは、感謝もなくて、不足のみ。

何故持つや。欲しがるや。さらに増やして、何を得ん。権力、名誉、地位、武力。

やがては招かん。戦争、滅亡。

物質金銭 悪ならず。なれど心の浄めのなくば、いつか人は自滅せん。

物質によりて、魂磨く。そが生かさるることの意味。人の生ある由縁ならずや。魂のみの修行なら、想念ばかりで悟りは難し。

なれど物質ある故に、喜び、満足、幸を知らん。悟りも早く、感謝も易し。

肉体持ちて、感覚を得て、五感の満ち足る喜びを知る。なれば感謝の意味も悟らん。

さにて感謝と優しさを、生あるうちに育みて、魂浄めて帰るを待たん。

なれど今の世、現界は、感謝忘れし低次の世なり。いずれは自ら滅びなん。

なれど神の慈愛と情けよ。救いてやりたし、気付かせたしと、この数年の、警告戒告。

意味を汲み取り、目覚めよ、今こそ。今を逃せば、全ては終わりぬ。さほどに危機は迫りたり。

今の荒(すさ)みし人心と、汚染破壊の自然環境。笛ゆくばかりの極悪犯罪。残虐凄惨極まれり。

世も末ならん。地獄と化せり。人の正しき判断も、今の大方、望むも虚(むな)し。低き方へと流されゆかん。

互いに相手を傷つけ、汚さん。救いの教えも導きも、かえりて嘲笑、嘲(あざけ)られ。

悲しき世なり。光も消えん。神の心に、希望はあらず。ただ嘆きのみ。絶望ばかり。人の最期の努力に託さん。

今のままには、救う能わず。救いてやりても同じこと。人自らが改悛せずば、幾度好く江戸、繰り返さん。

真(まこと)の賢者のことばを聞けよ。愚かな学者に政治家たち。魂抜けし宗教家たち。

真の光を見出せよ。喜び輝く栄光手にせよ。

真の愛を手に入れたくば、自ら輝く栄光手にせよ。

人の愛のみ求むるになく、自ら与えて、投げ出せよ。

さにて磨かれ、曇りを落とし、汚れを祓(はら)わば、光は増さん。うちなる栄光、授からん。

人への献身。神への帰依。感謝と満ち足る豊かな心。

そのみが真の富ならん。物質にては適わぬ豊かさ。

なれど物質、そがあることより、感謝の念も深まらん。悪の素なる心の奥の、我欲我執に囚わるるなよ。

魂(たま)の扉を開きなば、光の続く道は拓けん。

光の道を歩めよ、子らよ。迷える道の光に従い、素直になりて、執着離れ、安らかなるまま、委ねるべけれ。

さにて、本日、物質と金銭により、魂をさらに高めることの 容易なるを教えたり。

さにて感謝を。豊かな心を。さにて




  • 要約   2012.09. ひふみともこ

物欲・金欲・名誉欲、人には様々な欲があります。
そしてそうした欲が満たされないと、人は不幸に思ったり、ときには犯罪にさえ走ったりする場合があります。
では、物や金は心を汚す元凶でしょうか。
物や金があるから人は自分の心を乱したり狂わせたりするのでしょうか。
そんなことはありません。
物やお金を使うときの心の持ち方を訓練すれば、それは心を浄化する有効な手段にもなるのです。
では、どのような心の持ち方をすればいいのでしょうか。
お金について考えてみましょう。まずは「いい稼ぎ方」をすることです。
簡単に言えば、お金を払う側も受け取る側も、どちらも納得し満足し感謝していること。
そしてお金をやり取りすることの対象が、人に健全な幸せをもたらすものであること。
人を不幸にするような、例えば麻薬などの密売は、その結果として不幸な人を作ります。
次に「いい使い方」をすること。いい使い方の条件は3つあります。
1つは、感謝して使うこと。
2つめは、使うことで、喜ぶ人が多いこと。喜ぶ人の数が多ければ多いほど、それはいい使い方でしょう。
3つめは、その喜ぶ人との縁が遠いこと。自分との縁が遠ければ遠いほど、それは我利我執のためではないことになります。
物やお金に使われるのでなく、物やお金をよく使うこと。そして、もらうことよりも与えることの喜びを知ることも大切ですね。

第73回 和の会を終えて。


事務局からのお知らせです。
今月は「物質、金銭で魂を磨くこと」について学びました。
神社にお金をお賽銭としてお納めするのは、お金についた執着や人の執着を手放すことだそうです。
けっしてお金や物質が悪いのではなく、それを有効に利用することが大事で貯め込むばかりがいいわけではないということ。
後半は1999年10月23日の「神から人へ」の学びもございました。

まだまだ暑い日が続きます。当日も結構な暑さでした。お体ご自愛下さいませ。

本年第9回は10月6日(土)です。


おつかれさまでした。