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(人を愛するとき、どうしても我というものが入ってしまいます。自分が相手に好かれたいとか、或いは、独占欲のああまり、その人が自分以外の人間に優しくすると嫉妬するとか、その人物のみの幸せを考えて、他の人は排除するとか.......そうした愛を神様はお許しくださるでしょうか)

欲望、本能、人の根源。そこに本来 我はなけれども、自己と他者との違いを知りて、己の優越、選良意

識、そが芽生えぬる時、我は強まらん。

人は本来一人で生きる、孤独の生にあらざれば、他との調和を重んじて、共存共栄 願うものなり。

なればさらにも浄めてゆかば、必ず人は神に近づき、慈愛の心、寛容の愛、そに目覚めゆくもの、気付くもの。

我の曇りて、気付かざれど、人とは神の愛を持ち、いつでも人を愛せるものなり。

なれば人を愛するときに、我の混じりぬるは、改むべし。己の愛に我の混じりなば、さなる愛は汚れとな

りて、相手も汚し、己も貶む。

人を愛すは難しきこと。正しく愛し、正しく尽くせよ。あやまち我欲に迷いなば、かえりて双方、汚れを

積まん。

相手の幸せ願うはよからん。なれど幸せ、そをあやまつな。相手に金銭物質与え、物にて顕す愛は汚れよ。

真の愛とは、相手の心、魂満たす、それのみなれば。

なれば最も明らかな愛は、ことばによりて伝えらるべし。愛の深さは音にも表れ、目にも表れ、顔にも見えん。


なれば饒舌、巧言要らぬ、ただに心と心の還流、そにて充分 伝わるゆかん。

我とは本来、己への愛。自己のみよかれの心ならずや。我の入る愛とは、己のためなり。相手の真の幸せ

よりも、己の満足、自己中心。相手の迷惑省みず、己の偏愛、強制す。


全ては我のなす仕業なり。なれば人は、人を愛すも、安易に考え、あやまつなかれ。

人を愛すは、神の行いなせる者のみ、真の愛を顕せるもの。

神の愛とは公平なり。差別もなくば、偏りもなし。全ての生を等しく愛し、全ての生の救済願う。

なれど愛にも差異はあり。最も深き強き愛。最も大きく寛き愛。最も高く熱き愛。

愛に違いはなけれども、顕す愛に、違いあり。人それぞれに見合う愛、神は等しく分けて与えり。

なれば人はそに倣い、神の愛にも近づくべけれ。人は人とし、人の愛を、正しく顕し、行うがよし。

家族の愛もまた然り。親子の愛に兄弟の愛。師弟の愛に恋人の愛。愛にも幾つか違いはあらん。

なれどいずれの愛にても、独善の愛に真実はなし。相手に押しつけ、嫌われて、悲惨な終わりを迎えなん。

独善の愛は厳に戒め、宇宙の心で人を愛せよ。

全ては神の子。汚れぬ魂。その本来の 愛に目覚めよ。

幾多の生に出会うも縁なり。その縁を守り、広げていけよ。

一人一人の努力と協力。そのみが地球を。宇宙を救わん。

今人に神は全てを預けたり。人の最期の献身と努力の姿を、神に示せよ。

必ず宇宙は一人を守り、一人は宇宙を救いてゆかん。一人一人が神と結べよ。

一人が全てを救うにあらず。一人が一人を救うなり。一人一人の帰依の姿が、神の光を強め、高めん。

なれば一人の努力の姿は、千にも万にも価せん。一人を侮り、軽んずなかれ。一人の重みは人には量れず。

人に尺度や基準に量れぬ、神の世界の尺度を知れよ。そも適わずば、神を信じよただひたすらに、愚かに信じよ。

無垢なる心の信仰こそが、神にも通じ、人をも変えん。なれば愛とて同じこと。我にて愛する愛は慎み、

一途に祈れよ、人の幸せ。陰にて祈る心こそ、尊き愛の始めなり。

なれば相手に露に示し、押しつける愛は我のみの偽善。よく戒めて、高めてゆけよ。


神の愛とは見返りも、感謝も求めぬ、ひたすらの帰依。さにて相手が喜ぶ姿を、見守ることにて満たされ

なん。

さなる愛こそ、抱きて生きよ。儚く短き生ならん。神の愛にも昇華させ、あの世に帰らば、神は祝わん




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要約   2010.11.30 ひふみともこ

人を愛することは難しいものです。
自分の好きな人を独占したい、自分だけを愛してほしい、愛する相手からも愛されたい、そうした気持ちは人間なら当然かもしれません。
しかしそうした愛は単に独占欲や独りよがりの押し付けにすぎない場合が多いものです。
私の知り合いの女性は数年前にご主人を亡くされましたが、死後にますます夫への尊敬と感謝と愛とが深まったと話されていました。
夫の死を受け止めるだけでも普通はできないのに、悲しみに明け暮れることなく夫への気持ちをより高い愛に昇華されたのです。
そこには見返りも感謝も求めない、独占欲もない、真に尊い愛のあり方を教えられたようで、心から感銘に打たれたものです。
神様の愛も同じだと思います。
見返りも感謝も求めません。
また、誰にも平等・公平に愛を与えて下さっています。

人は愛することを学ぶために生を与えられます。
それは、神様の愛を3次元世界に実現させることではないでしょうか。

第54回 和の会を終えて。



事務局からのお知らせです。


今月は「人を愛することに」について学びました。
神様は全ての者、人にも動物にも植物にも、そしていい人や悪い人といわれる人にも公平である。
例えば、太陽は全てのものに公平に光を与えてくれます。
そして神様は我が入ることを戒められ喜びません。
また愛に違いはないけれど顕わす愛に違いがあるということで、わかりやすい例え「子育ての四訓」のお話もありました。
赤子には肌を離さず
幼児は手を離さず
少年には手を離して目を離すな
青年には目を離せ、心を離すな

そして村上和雄先生の「愛は遺伝子を活性化させる」というお話もございました。
全てが科学的でなくても愛という想念のエネルギーの強さが遺伝子を活性化するスイッチが入るのだそうです。
また村上先生によるとひふみ先生の著された「神から人へ」「神誥記」は超科学だそうです

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今年はことのほか暖かい日が多いのですが、いよいよ木枯らしが吹く日も近いようです。
皆様、おからだご自愛下さい。


おつかれさまでした。