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 2000年3月14日 (守護神、守護霊について)

では教えん。多くの宗教、信仰にても、真の教えは少なければ、幾多のあやまち、誤解もあるらん。

守護神、守護霊、いずれも、霊界、さらにその上、神界、天界、そこにおわして、この世を導き、間違い正して高めんために、特別許され、認められしもの。

なればこの世の修行も終わりて、後に入るを許されし、特に尊き魂なれど、さらなる向上昇華のために、自ら修行も、精進も積む。

それら守護神守護霊と、現界現世、人類との、縁は深くて強ければ、人は尊び奉(たてまつ)り、祭り奉り(まつ)れよ、己の守護神。

なれど、人類現世の者は、己の守護神守護霊との、直接交信不可能なれば、先ずは己の生かさるる ことをば感謝し、祈り捧げよ。

神と人との始めのご縁も、最も最初は守護神なれば、いずれの人間、現世の者も、身近の神とて崇め奉(まつ)れよ。

人には人に、それぞれの、霊統、霊団、守りおるなり。

なれば始めは、ご縁の深き、神霊讃えて、守護を祈れよ。

守護神、守護霊、いずれも導き、さらなる進歩と向上と、浄化と昇華を助け誘う。

なれば人は迷わずに、素直に従い、行を積むべし。

人は先祖を祀れども、己の守護神守護霊祭らぬ。そがあやまちの始めなり。

守護神、霊は先祖にあらず。さらに離れて昔に戻り、それぞれ魂、霊魂の、集まり来れる元の神なり。

なれば霊統、霊団も、それぞれ異なり、分かれおるなり。

(どうすれな自分の霊統、霊団を知ることができるのですか)

そも難きこと、許されぬこと。現世、地上の人間には、知るは能わず、許されず。

なれど感謝の気持ちはつながり、必ず届きて、歓ばさんを。

いずれの神も、ご縁と思いて、祈り捧げば、守護を得られん。

なれど最も尊き祈りは、己の利益、救済になし。人の幸せ、救済願う、寛恕(かんじょ)の祈りを、神は歓ぶ。

なれば一族郎党、子孫の繁栄、先祖の供養も大切なれど、先ずは捧げよ、神への祈りを。

己の精進、昇華の進みが、最も尊き供養となるらん。

先祖の霊とて、苦しみおるなら、ますます働け、神のため。

そを導くが守護神、守護霊。なれば一緒に修行を積みて、さらに高めて先祖も救えよ。

なれど願うな、己の益を、救いを、富を、小さき幸を。

大きな平和と救いを祈れよ。目先の損得、利害に迷わず、守護神霊のことばに従い、己の生を全うさせよ


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  • 要約   2011.7.03 ひふみともこ

人は人生の中でさまざまな困難や挫折に出会い、時に絶望的になることもあります。
私たちの人生の中で出会う苦難は全てその人の魂の修行のためにあるわけですが、その修行をよりよく行うために私たちには守護神・守護霊が付き添って見守り、導いて下さっています。
しかしそうした守護神・守護霊は私たちの目には見えず、声も聞くことができません。
しかしそれもまた意味のあることなのです。
もし見えたり聞こえたりしたら、私たちは依存心が大きくなってしまいます。
そして常に教えてもらおう、導いてもらおう、という気持ちから、自ら考えたりすることをしなくなってしまうのではないでしょうか。
それでは何の修行にもなりません。
また、守護神・守護霊と会話できるなどと称して怪しげな商法などに引っかかったりする恐れもあります。
依存心を持つことなく、自分の人生は自分で考え切り拓いていこうという気持ちと同時に、守られていることも忘れないで、絶望的になったり自暴自棄になることなく生きていきたいものです。
そして、守護神・守護霊の皆様に、感謝の祈りを忘れないことも大切です。
きっと加護の力を増してくださることでしょう。
よりよき人生、即ち霊的修行を十分に積んであの世に帰れるように、見守り導いてくださっていることを忘れないでください

第62回 和の会を終えて。

事務局からのお知らせです。
今月は守護神、守護霊について学びました。
冒頭、1947年に日本で最初にノーベル賞を受賞した湯川秀樹さんの「原子と人間」という詩が披露されました。3月11日の大震災による原発事故は人災だと云われておりますが、既に何十年も前に湯川さんが警告を発していたということです。
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原子と人間

人間はまだこの世に生まれていなかった
アミーバもまだ見えなかった
原子はしかし既にそこにあった
水素原子もあった
ウラン原子もあった
原子はいつできたのか
どこでどうしてできたのか
誰も知らない
兎に角そこには原子があった

原子は絶えず動き回っていた
長い長い時間が経過していった
水素原子と酸素原子がぶつかって水ができた
岩ができた
土ができた
原子が沢山集まって複雑な分子ができた
いつのまにかアミーバが動きだした
しまいには人間さえも生れてきた
原子はその間も絶えず活動していた
水の中でも土の中でも
アミーバの中でも
そして人間の身体の中でも
人間はしかしまだ原子を知らなかった
人間の目には見えなかったからである

また長い時間が経過した
人間はゆっくりゆっくりと未開時代から脱却しつつあった
はっきりとした「思想」を持つ人々が現れてきた
ある少数の天才の頭の中に「原子」の姿が浮んだ
人々が原子について想像を逞しくした時代があった
原子の姿が見失われようとする時代もあった
人々が錬金術にうき身をやつす時代もあった
そうこうする中にまた二千年に近い歳月が流れた
「科学者」と呼ばれる人達が次々と登場してきた
原子の姿が急にはっきりしてきた
それがどんなに小さなものであるか
それがどんなに早く動き回っているか
どれだけ違った顔の原子があるか
科学者の答は段々細かくなってきた
彼らは次第に自信を増していった
彼らは断言した
「錬金術は痴人の夢だ
原子は永遠にその姿を変えないものだ
そしてそれは分割できないものだ」

かくて十九世紀も終ろうとしていた
この時科学者は誤りに気付いた
ウラン原子が徐々に壊れつつあることを知ったのだ
人間のいなかった昔から少しづつ壊れつづけていたのだ
壊れたウランからラヂウムができたのだ
崩壊の最後の残骸が鉛となって堆積しているのだ
原子はさらに分割できることを知ったのだ
電子と原子核に再分割できるのだ

やがて二十世紀が訪ずれた
科学者は何度も驚かねばならなかった
何度も反省せねばならなかった
原子の本当の姿は人間の心に描かれていたのとはすっかり違っていた
科学者の努力はしかし無駄ではなかった
「原子とは何か」という問に今度こそ間違いのない答ができるようになった
「原子核は更に分割できるか
それが人間の力でできるか」
これが残された問題であった

この最後の問に対する答は何であったか
「しかり」と科学者が答える時がきた
実験室の片隅で原子核が破壊されただけではなかった
遂に原子爆弾が炸裂したのだ
遂に原子と人間とが直面することになったのだ
巨大な原子力が人間の手に入ったのだ
原子炉の中では新しい原子が絶えず作り出されていた
川の水で始終冷していなければならない程多量の熱が発生していた
人間が近よれば直ぐ死んでしまうほど多量の放射線が発生していた
石炭の代りにウランを燃料とする発電所
もう直にそれができるであろう
錬金術は夢ではなかった
人工ラヂウムは天然ラヂウムを遙かに追越してしまった
原子時代が到来した
人々は輝しい未来を望んだ
人間は遂に原子を征服したのか
いやいやまだ安心はできない
人間が「火」を見つけだしたのは遠い遠い昔である
人間は火をあらゆる方向に駆使してきた
しかし火の危険性は今日でもまだ残っている
火の用心は大切だ
放火犯人が一人もないとはいえない
原子の力はもっと大きい
原子はもっと危険なものだ
原子を征服できたと安心してはならない
人間同志の和解が大切だ
人間自身の向上が必要だ

世界は原子と人間からなる
人間は原子を知った
そこから大きな希望が湧いてきた
そこにはしかし大きな危険もひかえていた
私どもは希望を持とう
そして皆で力をあわせて
危険を避けながら
どこまでも進んでいこう
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霊魂は科学的に証明することは出来ないかもしれないが感じることは出来る。

心もあるかないかは証明出来はしないが、心があるかもしれないと感じることも出来る。
素粒子は証明は出来るが感じることは出来ない。

科学者が客観的事実のみを正しいというのではなく、こころや霊魂、魂、神様と言うような主観的事実も認め、尊ぶことが大切だということを学びました

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おつかれさまでした。