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 2000年5月24日 (無気力・無責任の人の救済)

神から人へ。人から神へ。

教えて残し、伝えて広げ、神の願いを、祈りを、声を、人に託して、改悛待たん。

真の人の目覚めを待たん。目覚め、気付きて、変わるを待たん。

人の世界の今日までの、永き苦労と困難の道。なれどかくまで荒れぬれば、今早待てぬ。時の迫れり。

人間世界の立て替え直し。神の手助け、頼るなよ。自ら立て替え、改めよ。人の真の努力と精進。

精神高めて、自ら禊げよ。

精神退廃、文明堕落、狂乱、騒擾。汚染、壊滅。今必定の地球の終末。

今を悔い詫び、改悛せずば、この世に残す何物もなし。

 一度神の怒りに触れなば、この世を消して、なくすも容易。

 なれどあやまち繰り返し、未来永劫、向上なくば、創りても無駄。生かすも徒労。なれば最後の警告、通告。

 よく耳澄まし、聞き取れよ。素直に、謙虚に、正確に。

 あやまち誤解し、早まるなかれ。神の望まぬことは すなよ。ただに従い、導かれよ。他の欲望、雑音入れるな。

 愚かなまでの素直さにて、赤子と同じな無垢なる心で、神を信じて、預けゆけよ。

 余計な心配、取り越し苦労、人知の浅慮は、弊害ばかり。かえりて浄化を妨ぐるのみ。

 なれば早くに心入れ替え、さらなる昇華を目指してゆけよ。ただ任せゆき、委ねゆき。従い、倣い、付いてこよ。

 さにて本日、何を問うや。

(今、罪悪心とか、責任感、自責の念というものが、非常に衰えているように思われます。無気力に、全く意欲を失った人たちを救っていけるものでしょうか)

そもまた難し。答え難し。

人それぞれに、荒(すさ)みし心。希望も光も失いて、方向なくせし船の舵。行くべき方に、何も見えず。

何を目指して生くべきか。誰を敬い、信ずるべきか。

今のこの世の、悲しき現況。嘆くのみんは、何も生まれず。なれば少しの辛抱もてよ。今より悪くなることはなし。

今が最も低き時代と、諦め、無心に努力捧げよ。

なれば救えぬ魂も。今の一より這い上がり、心に微かの希望も生まれん。

なれど自ら救えぬ者は、いくら励まし、奇跡を見せど、弛みし心に、張りは戻らず。

倦みし心に鞭を当て、かえりて倒れん、老馬の如く。

責任感も忘れ果て、生きる価値すら見出せぬ。さなる魂、腐りぬれば、光も届かず、伝わらぬ。

神の光のその前に、人は人とし、助け合えよ。先ずは人の、優しさ温もり。その後、神との出会いを助けよ。

ふたぎし耳にいくら呼びかけ、慰め与えど、そは性急なり。神のみ声を聞くまでには、精進昇華が必要なれば。

なればこそなり。手伝えよ。人には人しかなせぬ業あり。

神の光の届かぬ者を、神の前まで導きて、素直に神と対峙させ、神の光を浴びさせよ。

一度気付き、立ち直りなば、人の浄化は勢い増して、必ず救われ、昇華せん。

希望も生まれ、意欲も湧きて、心のゆとりを、取り戻さん。

さなる段階、次元までは、人のなすべき救いなれば、見捨てず、癒し、安らげてやれ。

凍てし心に、温もり与えよ。そよ風の如(ごと)、和ませてやれ。

降る雨の如、慈雨の如、渇きし心に、潤いを。

命の息吹を 甦らせよ。

さなる手伝い、誠のこもれる、誠心誠意の手伝いを、神は喜び、慈しまん。

一人二人の努力にても、神には千万万人の如。嬉しく、尊く、ありがたく。

さなる神の御心を、悟りてくれよ。気付きてくれよ。

なれど神のみ思うことなく、救うべき人、隣人に、神の光を当ててゆけよ。

ことばを広げて、知らせてくれよ。あまねく伝えて、残してくれよ。

今緊急の、最期の時なり。慌てず、なれど、急ぎてくれよ。さにて。


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  • 要約   2011.9.03 ひふみともこ

東日本大震災後、半年が経ちます。
被災地でも避難所から仮設住宅に移ったり、農業や漁業、工場なども再開するところも現れたりするなど、確実に一歩ずつ、復興に向けて歩み出しています。
笑顔もだいぶ取り戻されたかのように見えます。
しかし、心の奥底、魂の底では、まだ深い悲しみにくれているのです。
心の被災、魂の被災はまだ癒えているとは言えません。
日本人全体が、意識するしないにかかわらず、悲しみに覆われています。
そうした人々の魂が少しでも救われていくにはどうすればいいのか。
どうすれば無気力に陥って苦しんでいる人たちにエネルギーを与えることができるのか。

その一つは、神との縁に気づかせること、もう一つは心に何らかの方向性を持たせることではないでしょうか。

人は人を慰めたり励ましたりすることはできます。
でもそれが一時しのぎの気休めであるならば、本当の救いにはなりません。

どんなに苦しくても、絶望のどん底にあっても、この世に起こる全てのことは人間の意志や思いを超えたものであり、そこに神様のご意図と愛を感じて、積極的にその苦しみ・悲しみ・絶望に向き合えるように手助けしていくことが、神との縁に気づくことにつながります。

そしてその人の魂のエネルギーが回復するまで、心を離さず寄り添ってあげること。

立ち上がれるまで、一緒に倒れていてあげること。

すると、悲しみの底に沈んでいた人の魂のなかに、光を求める窓が開くでしょう。

霊性の目覚めです。
あとは光に導かれていけば、自ずと魂は方向性を持つことができるでしょう。

人は人を救うことはできません。でも人が救われるための手助けはできるのです。


第62回 和の会を終えて。

事務局からのお知らせです。
今月は「無気力・無責任の人の救済」について学びました。

神様は万民にお優しいです。
一人二人の努力でも千人万人のごとくに喜んでくれるようです。

努力努力努力ですね。

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次回は10月2日(日)です。お間違いのないようにお願いします

おつかれさまでした。