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神誥記 2000年5月02日 (神を求めること)

神から人へ。人から神へ。

教えて残すべきこと教え、伝えて広めるべきこと伝え、今ようやくに新しきみ役賜り昇華せん。

神への感謝をさらに高めて、光を強めて、人に与えよ。

人に伝えてつながりゆかば、必ず神の恵みも深く、人へと広がり、巡りてゆきなん。さにて本日何を問うや。

(神を求めるとはどのようなことでしょうか。また、昔の日本では、神に祈ることを教えられることもなく、信仰もなかったのではないでしょうか。そうした時代に人たちの犯した罪もやはり深い汚れとなるのでしょうか)

さなり。昔と言えども、今と変わらず。

神を知らずというなれど、生への感謝や神に代わる 神秘の存在、そはありし筈。

さにて人は物質のみの世界に生きるものになく、必ず見えぬものにより、行かされ恵みを賜ることを、

多少なりしも知りしものなり。なれど時代の罪もあるラン。武士の時代の世相風潮、その犠牲なる魂(たま)もあるらん。

なれば神は責めることなく、後の子孫の悟り気付きと、神への感謝献身を、課して待たれて、救わんとさる。

さにて救われ、導かれ、神とのご縁をつなぎしものは、神への感謝を知り初(そ)めて、あやまち誤り、素直に詫びなん。


(時代のために、自殺よりも重い罪を犯した魂、例えば鮮少で人を殺したりした人はどのような償いをすれば救われるのでしょうか。そうした方たちも、あの世で苦しんでいるのでしょうか)

さなり。さらに重き罪により、己を責めて苦しむもあり。後悔悔悟になくもあり。

或(ある)はまた、殺せし者の幻影に、怯えおののく者もあり。いずれも苦悩懊悩深め、あの世にありても安らかならず、無限の悔いに、囚われ苦しむ。

なれば子孫や残りし家族は、この世における罪科(つみとが)の曇りを祓いて、浄めてやれよ。

慰め、いたわり、ねぎらいてやれ。やむなく犯せし罪もあるらん。あやまち作りし汚れもあらん。

なれどそもまた禊ぎにあらん。己の作りし汚れ曇りを、神に感謝し浄めるべけれ。

早くに気付かせ、悟りらせてやれ。神に詫びして、安らげてやれ。

執着強めて、惑える魂に、罪の深さと修行の意味を、教えて導き、救いてやれよ。

神の許しは容易にあらず。なれど真の改悛ならば、必ず神は光をかざし、浄めて救い、拾いてゆかん。

神の御心、慈愛の深さを、信じ、求めて、神に委ねよ。己独りの苦悩にあらず。神も苦しみ、悩み手おられん。

人を見守り、救い長けれど、人の求めと帰依のなからば、救うに救えぬ、神の苦悩よ。

人の素直な下座と帰依。それのみ待ちて幾千年。気付き戻るは少なければ、神の嘆きも深まるばかり。

神の広げる救いの御手(みて)に、魂委ねて、任せよ、人よ。

神の恩愛忘るなかれよ。神とは厳しきものにはあらず。人のそばにて待ちわびて、見守り悲しみ、嘆きておられん。

神の罪を思え、子よ。親の愛にも及ばぬほどの、はるかに厚く、尊き愛を。

神を知らずば救われぬなら、教えてやれよ。諭してやれよ。

生きることへの感謝一つで、神とのご縁は結ばれもせん。

物質のみの価値観になき、精神神秘を尊ぶ者なら、神は存在示されずとも、許し結ばん、神との縁を。

神とは寛く高き心で、人の帰るを、願い、祈らん。

神の祈りに相和せよ。神の御心知る者ならば、神の慈愛に、祈り応えよ。

神の心に高めて和せよ。神の心と調和せば、必ず光も慈愛も恵みも、強まり深まり速まりなんを。

神の願いの一つも叶えよ。この世の修行を喜び行ない、感謝の心を高めてゆけよ。

この世の修行の終わりなば、神は迎えて、昇華を許さん。

神の世界に入るを許さる、精進積みし魂の、一つも増えて、帰り来よ。

時代に波に流されて、いまだ漂う迷える魂も、今生ある者が救いてやれよ。

そも務めなり。修行なり。み役の一つにあらざるや。

生ある者の生きる意味は、この世に己の修行を積みて、己独りが救わるになく、己の先祖、祖先の御魂を、救い導くこともあらん。

なればその者救いし者も、さらに功徳を厚くして、さらに精進昇華を進めん。

迷いし魂、先祖にあらば、子孫は必ず禊ぎもきつし。さなる子孫は早くに気付き、慰め、供養し、悟らせてやれ。

さにて先祖も解脱して、あの世の修行を充分なせん。さらには子孫も繁栄し、光も強き家系となるらん。

さにて本日、神を知らぬ者がいかにして救われ、精進すべきかを教えたり。

既に知りたる者なれば、この先、行い、顕しゆけよ。さにて


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  • 要約   2011.11. ひふみともこ

物質文明が極端に発展し、金が価値の基準になってしまっている現代において、「神」に向き合う心はすっかり忘れられてしまったようです。

「神」に向き合う心とは、特定の宗教の神を指すのではなく、自然そのものといってもいいでしょう。

自然への素直な感謝と正しい畏れを取り戻すべきときが来たのではないでしょうか。
今回の震災と原発事故は、強烈にそのことを人間に求めているメッセージだと思います。
物質だけを扱う科学や肉体だけを治そうとする今の医学。
でも物質や肉体だけでは絶対に解き明かせない何かがある・・・。
一流の科学者・医学者の中でも、そうしたことを認める内容の発言や著作が増えてきたような気がします。
お金だけが幸せの基準であった時代も終わらせなければならないでしょう。

お金も正しく健康的に使われれば、本当に便利なものですが、今のようにバーチャルな富の追及に狂奔し、マネーゲームに踊らされ、一夜で巨額の富を手にするかと思えば、一夜にして巨額の借金を抱えるという異常事態。

食べ物さえも投資の対象とされる一方で、飢餓に苦しむ何億もの人々。
未だに大量生産・大量消費・大量廃棄に経済成長を頼る経済体制。
いつか全てが破綻するとしか思えないのです。

人間の魂の根底には「神を求める心」があるのです。
それを取り戻さなければならない時が来たということを、真摯に受け止め、祈りの身心化に努めたいものです。





第65回 和の会を終えて。

事務局からのお知らせです。
今月は「神を求めること」について学びました。

ひふみ先生より、3月11日の大震災の直後、日本人は自然への怖れや人間の傲慢さに気付き、人々の絆も生まれました。
それが8ヶ月も経過し、人の心が震災前と変わらなくなってきたような気がします。
ただ、魂の底では、人間は科学一辺倒ではなく、神や自然、宇宙に対して、謙虚な心が刻まれたのではないかと感じるとのことでした。

臨床医の矢作直樹さんの「人は死なない」という本の紹介もありました。
科学的なお医者さんでさえも、人には見えない魂があるのではないかと感ずるときがあるようです。

わたしたちが大事なことは神に向かう素直な心、神を真摯に求めることが重要だということを学びました。
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次回は12月3日(土)です。
やっと晩秋らしくなってまいりました。

おつかれさまでした。