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2000年4月23日「宗教」について

「宗教の違いについてお教え下さい。全ては元は同じ神様なのでしょうか」

かくも尊き、畏(かしこ)き神を、頂く神は、一つの民なり。

大和の民は最も尊く、畏き神を頂く民なり。

宗教、教団いろいろあれど、全てを治める最も上の、最上界には、スの神おわす。

なれど、様々宗教あれど、その下にいて、ス神に仕える、位の低き神祭るなり。

なれば大和は、最も近く、神に仕える元の民なり。

なれど世も末、最期の時なり。

いずれの民も、やがては一つ、一つの神にて、導かれなん。

今の民族、人種、国籍、やがてはまとまり、束ねてゆかん。違いはあれど、魂は全てス神に捧げられなん。

宗教、教団、一つになりて、一つの信仰、残されなん。ことばも文字も一つとなりて、全てが調和し相和しゆかん。
宗教、祭祀、違いはなくなり、争い、いさかい、なくなりゆかん。

なれどさなる時の前には、厳しき選択、浄化もあるらん。

そに耐え抜きし魂のみが、残され 選ばれ 引き上げられん。

残され撰ばるそのためにも、今より始めよ、ことばの浄化を。

卑しき思いや想念表す、ことばは捨てよ、使うなかれよ。乱れしことばを 平らかにせよ。

汚され使われ、侮られし、ことばを正せよ、大本から。

今の人の世、乱すことばを、一つにするも た易くはなし。人の努力も、無駄多し。

国も違いと、ことばの違い、そもまた難(かた)く容易ならねど、一つ一つの国々で、ことばを正してゆくが大切。

そを先ず始めよ、大和の民から。昔の神のことばに近く、神のことばを残すことばよ。

神のことばを、思いを知る者。神と最も和し易き民。なれば神の御心も、通じてゆかん。届けられなん。

神の祈りもすみやかに、広がりゆかん、行き渡りなん。

神の思いを伝えることが、始めの宗教、神のご意図よ。

なれど今ある宗教は、多くは、人の利益のため。人の幸福、富のため、健康のため、祈願のため。

神の願いを聞くはおろかに、己の勝手な願い事のみ。現世のみの魂ならば、そもまたよからん。当然ならん。

なれど人の魂は、その後続き、あの世までも、課されてゆかん、霊行を。

この世の行にてし残しし、多くの修行、汚れや罪を、浄める行は、積もりてゆかん。

なれど気付かぬ者ならば、宗教こそが教えるべきを,宗教さえも堕落せり。

かえりて人の迷いを増すのみ。執着深めて、汚れを強めぬ。

神の嘆きはそれのみならず。神の存在、恩恵さえも、忘れて、否む、世相、風潮。

人の心の迷い狂いを、醒ましてやれよ。導いてやれ。

人の心が最も安らぎ、救わるるのは、神とあるとき。

人の心の神が目覚めて、人の魂と共にあるとき。

人の心が最も嬉しく、生ある意味を悟るのは、神の存在甦らせて、己の魂、生の由来を、永遠なるを、自ら知るとき。

なればこの書記、さなる意味あり。人の迷いに直接働き、呼びかけ覚ませよ、示してやれよ。

神の声なる書記を読み、それにて改心、目覚める者は、神との縁を結ばれて、その後は離れず、救われなんを。

人の現世の次元に留まり、神を嫌いて、遠ざかる者。邪欲に憑かれて、逃れ得ぬ者。

さなる者にも,信仰あるらん。邪神に使われ、落ち行く定めよ。

曇りし目には、神は映らず。濁りし心に、声は届かず。神の心の偽りのない、尊き導き、慈愛も及ばず。

神にもなせぬことのあるらん。人の心を救うための、導き、それは人の務めよ。

選びし幾人、魂を、使いて神の声を伝え、そを広めるは、人のなすこと。

神自らがなせるのは、救わるる魂、引き上げて、そを守ることのみ、導くことのみ。 

後は個人のなすべき修行。自ら禊がれ、求むる者には、さらにみ役を与えてゆかん。   

なれど求めず、離るる者には、神も救えず、見送るばかり。厳しき仕組みの、法則なれど、自ら救えよ、救われよ。      

神を求むる心のあらば、救いは始まり、導かれゆかん。

意固地に拒みて、驕る者、高ぶる者は、救う術なし。

宗教者なるは謙虚なるべし。

最も近く神の声受け、人に伝えるみ役の者は、最も謙虚で、敬虔なれよ。 

さならうば、神のみ声は伝わらず、枉(ま)げて伝うのあやまち犯さん。   

かえりて己が神と見まがい、人の弱みにつけ込みて、救うと称して、利用するあり。

神への冒涜、甚だしきこと。なれど、そもまた、人の弱さよ。    

低き心の者集まりて、さらに低まり、堕ちてゆきなん。

宗教、多くは、誤りの素。始めのご意図を伝えるものは、少なくなれば、よく心せよ。

真の宗教、信仰は、神への感謝と帰依を深むる、そのことのみを教えるものなり。     

神への感謝と、魂浄める、修行を教える、それのみなるよ。                                      
かつての宗教、そを思い出せ。     

ことばの恵みを教えるものを、神への感謝を伝えるものを、人は心し、よく見極めよ。                        

さにて、本日、宗教と、真と偽り、違いを教えき。
明日にも問えよ、さらに深めよ。さにて

  • 要約   2012.02. ひふみともこ

 人の幸せとは何でしょうか。
家族が健康で衣食住足りて生活できることと答える人も多いでしょう。
確かにそれは幸せなことだと思います。
でもそれは真の幸せでしょうか。
ここで、真の幸せとはどんなことがあっても変わることのないものだとします。
そうすると、先の幸せは決して真の幸せとは言えないでしょう。
いつ失われるかわからないのですから。
不慮の事故、天災、病気などで一瞬にして人は悲しみ・苦しみのどん底に突き落とされるかもしれないのです。
でも、人の幸せとはそんなにも脆弱なものなのでしょうか。
儚いものなのでしょうか。
そうであるなら、人は絶対の幸せは永久に手に入れられないことになります。
常に悲しみや苦しみという不幸と隣り合わせに生きて、心の片隅には今の幸せをいつ失うかわからない不安と共に生きていることになります。
では、人は誰も真に幸せにはなれないのでしょうか。
いいえ、そんなことはありません。
生まれてきた意味・生きる意味を知り、自分の生の根源と宇宙の根源が同一であることを確信できたなら、不幸にさえも意味があることに気づき、魂の安らぎを得ることができるでしょう。
目に見える不幸に遭遇しても揺らぐことのない安らぎこそが、真の幸せなのではないでしょうか。
その安らぎを得るために、私たちは日々心のトレーニングをしているという訳です。
生きている間にしっかり心のトレーニングをして魂の幸せを手に入れたいものです。




第68回 和の会を終えて。

事務局からのお知らせです。
今月は「宗教」について学びました。
私たちは単に親から生まれてきたのではなく、生まれてきた使命や意味があることと、神が存在するということを自覚し、神が人間を作ったということを学びました。
神様の願いや思いを知っている人は神様のお手伝いをしてほしいというのもわかりました。
そして現界の成功だけを考えるのではなく、私たちが生きる意味を考えるのだということも学びました

本年第3回は3月24日(土)です。

おつかれさまでした。