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2000年5月6日「守護神の目覚め」について

神から人へ。

神から人へ、教えて残しておきたきことも、残して伝えて広げたきも、今ようやくに、教え終えなん。

伝え残すことも少なく、早くに広げよ。今はそれのみ。今本日の問いを終えなば、必ず広げて、伝えてよけよ。

人の間に流れる風説、俗説多くあるらめど、真理は一つ、神のみぞ知らん。

真理は遠く普遍にあれば、人の人知や学問にては、容易に解き得ぬ。証し得ぬ。

なれど全ては一つの真理。神の定めし経綸なるらん。さにて本日何を問うや。

(心の奥の神様が目覚めるということ、守護神様が目覚めるということについてお教えください)

では教えん。先ずは気付けよ、己の奥の、魂のそこ、普遍とつながる。

神の真理とつながりて、神を知りぬる者のみの知る、真の真理とと、神の御心。そは深く潜みて、時を経て、

眠りを覚まさるときを待ち、一度(ひとたび)目覚めれば、共に目覚めて、あらゆる自由を手に入れなんを。

神の慈愛に気付きし者は、神の御心、手に入れし者。

さなる感謝と報恩の、真の厚き心に帰り、神に帰依して、捧げんとする、そのとき神は目覚めとならん。

なれば心に感謝持つ者、そは神の目覚めし、祝われし者。神の心に近付きて、神に感謝を捧げつつ、

神のお役に立つこと望み、神に真を捧げる者は、自ずと神に使われ始め、神の恵みを賜り始めん。

なれば心に明らかに、神を感じることなくも、必ず神はそばにおられん。そばにて見守り、導きされん。

神の恵みを賜りて、神と共にあることの 喜び感謝を常に持ちなば、必ず神は救いを与え、心の安らぎ、安定与えん。

神は目覚めて人に語れど、聞こえぬ者には聞こえることなし。なれど必ず導きて、不幸病を逃れるようにと、正しき道へと導かれなん。

神のことばを聞こえざるとも、心に目覚めし神のあらば、行い正しくことば正され、自ずと真理の道へと進まん。

神の教えに素直に従い、神のことばに謙虚に倣い、己の我欲執着離れて、神に素直に使える者は、神の御声は聞こえずとも、必ずことばは届いておるなり。

素直に働き、欲を出さず、常に満たされ、満ち足りて、常に感謝を心に持たば、光輝く生を得て、自ずと光に誘(いざな)われなん。

人間心のことばに迷わず、神の御心喜ばすよう、それのみ思いて、働けよ。

この世を救い、人類救われ、栄えある明日を拓(ひら)くためには、今このときの努力を惜しむな。

最期の時なり。遅れるなかれ。神の目覚めを待つになく、自ら捧げて、感謝を待てよ。

さなる尊き心にあらば、神は喜び、導きゆかれん。

心に曇りなき者ほどに、神の心に適いうる 行いなして、さらに謙虚に。神のことばに耳傾けよ。

正き教えは自ずと聞こえん。人間心の狭き心に、明るき光をさしかけられん。

なれば曇りは光と照らされ、いつか眩き富を得ん。

心に富を持ちてゆけよ。心の富は減らぬ恵みよ。神の与えし、最も尊き、恵みが心の富なれば。


さにて本日、問いを終えん。この後問いを問いたくば、さらに高めて、広めてゆけよ。

人の救いに役立つような、後の世、人を、導くような、さなる問いもて神に問えよ。

さにて。

  • 要約   2012.03. ひふみともこ

私たち人間は、皆ばらばらに、或いはそれぞれ独立して自由に生きているように見えます。
しかし、人間の目からそう見えても、人はそれほど自分の自由意志で生きているわけではありません。
というより、自分の自由意志で決められることは、全生命活動中の5%位だそうです。
言い換えれば、自分の意志以外の働きが私たちを生きさせているのです。
例えば、心臓を動かす、息をする、胃腸が働いて消化吸収をする、汗をかく、熱を出す、くしゃみをする…。
それらの働きが自分の意志の命令を待って働いているなら、意志がいくつあっても足りないでしょう。
体中のそれぞれの臓器や器官が勝手にそれぞれの働きを行っていてくれているからこそ、私たちは夜も安心して眠れるのです。
そういう意味で、私たちの体は一つの小さな統一体と言えるかもしれません。
また、5%の自由意志と考えているものも、果たして自分の完全に独立した意志でしょうか?
何の影響も受けずに自分だけで決めているのでしょうか。そうではないでしょう。

人は自然の一部であり、宇宙の一部です。
人間の意識できない、潜在的な意識(無意識・集合意識)によって、人は自然や宇宙の動きから無限の影響を受けています。
というよりも、自然・地球・宇宙と一体となって私たちの意識は働いています。
木や草、大地、空、太陽、月…。日頃それらを自分の外のものとして眺めていますが、私たちの外にあるのではなく、私たちはその中にあるのです。
このことは、言い換えれば私たちが神の一部であるともいえますし、私たちの中に神の働きが宿っているとも言えます。
そうしたことに気づき、そのことを常に意識化していくことが、心の中の神の目覚めに通じるのではないでしょうか。
そうした心のトレーニングをしていきたいものです。

第69回 和の会を終えて。


事務局からのお知らせです。
今月は「守護神の目覚」について学びました。
たとえ神様のお言葉は聞こえていなくとも、常に神様は私たちを見守っていてくださるということ、神様の御心を喜ばすような行いや気持ちを持つことが大事だと学びました

本年第4回は4月22日(土)です。


おつかれさまでした。