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神誥記
2000年5月12日「少年犯罪」について

神から人へ。人から神へ。
(少年犯罪の増加は何を表しているのでしょうか。私たちは何をすべきでしょうか)

そは根本の問いかけなり。そもそも子とは清きもの。汚れなきもの。澄みしもの。

なれど今の世、現界は、汚れを増やせること多し。大人の欲望、勝手都合の、己中心、言い訳ばかり。
己の欲さえ満たされば、後は構わず。省みず。さなる大人の罪汚れ、子供は映す鏡なり。

なれば心の闇は深く、暗き淵にて、見失い、何を信じて、生きるべきや。何を支えと、頼むべきや。

惑える子らの苦悩困惑。大人は悟れよ。読み取れよ。大人の迷いが子に現れん。大人の我欲が子に継がれん。

子は犠牲なり。あらがいもせず。ただに大人の罪汚れ、無力のその身に負わさるるのみ。

大人の卑しさ、計算も、子には計れず。操れず。大人の我執、妄執に、あそばるるのみ、漂うのみ。

さなる現状、今の世は、既にこの世の終末ならずや。最も弱き子らに写るが、この世の終わりを示すものなり。

大人は悟れよ。省みよ。己のなせし誤りを。物質のみを奉り、崇めて来ぬる来し方を。

この先未来を憂いなば、まずは大人の改心進めよ。今の結果を憂うるになく、大人の堕落を、腐敗を正せよ。

悲しく哀れな犠牲者を、責め苛(さいな)めど改善ならず。さらに深めん、混乱、迷妄。

いかなるときにも原因を、元から正せよ、見直せよ。いかなる罪とて、原因のあり。なればそこより正してゆけよ。

大人の原因、悪の種。蒔かれて実は子供の暴走。子の苦しみを、悲しみを、癒せぬ世なり。見逃す世なり。

病める心の奥底に、沈める魂(たま)に、光を当てよ。心に光を、温もりを、甦らせよ。救いを与えよ。

最も悲しき哀れな子らよ。大人の歪みが子に現れて、何も悟らぬ愚かな大人よ。

今この時に急ぐべきは、子らの救いもさることながら、先ずは急げよ、大人の諌め。

上から正して直さざらば、下には乱れが強まるばかり。川の上から流す汚濁は、川の下にて腐臭を放たん。

魚を殺し、汚染を広げん。

最も正し、諌めるべきは、政治家、資産家、権力者。いかなるときにも、腐敗の根源、悪の源、そが政治。

その次諌めて問うべきは、政治を動かす権力や 財力握る資産家たちなり。

なれどそこにも宗教あるらん。宗教思想の乱れ狂いが、上の心を迷わせなん。

宗教信仰思想の支え。そが正しくば、恐るることなし。なれど元から崩れし故に、神は急ぎて、仕組みを示さる。

(宗教や信仰を正せば、政治もよくなり、犯罪もなくなるのでしょうか)

さなり。なれどそもまた誤解ならん。宗教、政治、どちらも、同じ。元は一つの 人の営み。

神との交信断たれしときより、宗教乱れ、政治もなくなり、人の我欲を中心に、神の存在忘れられ、己の利益を優先の、最たるものが宗教政治。

人間心の欲望が、さらに深まり、極まれり。

神とのつながり切れしときより、この世の荒廃、退廃始まり。なれば元は一つのことなり。

全ての者を神とつなげよ。さなれば人の心も正され、自ずと罪を忌み遠ざけん。

神の戻りし心にあらば、必ず人は自ら正さん。


(政治は宗教と切り離すべきだという考えが普通ですが、それは神様の教えに反するということなのでしょうか。また、宗教信仰の自由が、政治に犯され、或いは利用されることはないでしょうか)

さなる恐れも当然ならん。今のこの世に残れる宗教、全てが政治に、汚され、乱され、利用され。

なれど真の宗教とは、人を神へとつなぐもの。さなる役目を果たせざらば、その宗教は宗教ならず。

かえりて神の邪魔をするもの。人の間に上下を作り、上の者のみ得をする、さなる構造仕掛けを作る、そが宗教の成れの果て。

さなる宗教滅びてゆかん。人の不幸を悪用せしもの。

なれば政治も宗教も、犯罪つくる元凶(げんきょう)ならずや。子の犯罪も、その表れ。最も悲しき現実ならん。

子の犯罪を救うためには、先ずは大本、政治を正し、神とご縁を結びてゆくこと。

(政治家一人一人に、どやって神とご縁を結ばせてゆけばよいのでしょうか)

そは困難なり。苦難なり。道の遠かる旅ならん。なれど政治家選ぶも人なり。政治家選ぶ人の心を、一人一人を正してゆけよ。

全ては循環、統一なれば。全ては連鎖の、円環なれば。

焦らず、急がず、一つ一つを、地道に気長に続けるべけれ。怠けることなく続けなば、必ず道は拓かれゆかん

  • 要約   2012.05. ひふみともこ

 子は親の鏡とよくいわれます。
近年「モンスターペアレンツ」ということばが聞かれるようになりましたが、そうした親の子どもは決して幸せになれないでしょうし、親自身、子供が成長した暁にはそのしっぺ返しを受けるでしょう。

また、子どもは親の鏡であると同時に、親や大人・社会の犠牲者にもなり得ます。

自由=縁を切ることとして、自由の価値を誇大に盲信してきた結果、無縁社会が広がり、孤独死も珍しくない今の時代に生きる子どもは、そうした社会を作ってしまった大人たちの犠牲者とも言えます。

 唯物主義を信奉することで「見えないもの」への感謝が失われ、「物・金」だけを幸せの尺度としている今、衣食住は一定水準以上の中で生きていながら、自殺者は14年連続年間3万人以上。今や何が幸せなのか、見失って生きているのではないでしょうか。

食べ物でも「高い」=「おいしい」となっているような気がします。
本当に体が欲している物ではないのに、高いからおいしいはずという錯覚です。

そうした錯覚・幻影・妄想から覚めて、真に体も心も魂も喜ぶ喜びを見直していかなければならないと思います。
そうしない限り、いくら法律を厳しくしても、少年犯罪はなくならないでしょう。

第71回 和の会を終えて。

事務局からのお知らせです。
今月は「少年犯罪」について学びました。
子供は大人の心を映す鏡であり、親を見て育つ。親の行動が子に映り、大人になって親と同じことをするようになりやすいそうです。小さい時に親から虐めを受けると自分が親になった時に同じような行動を起こしやすいということを学びました。
最近の事件や事故でもわかる通り、社会のひずみは子供や障害者、老人のような弱い者に向けられています。
全ては大人に原因があり、私たち自身が反省し、我欲や物質のみを追求するのではなく、心の喜びやひいては、魂の喜びを感じるように浄化されなければいけないということ。
すべては子に映されるということです。

佐伯啓思さんの著書「反幸福論」では、現代社会は幸福の条件として、自由、平等、権利といったようなものが主張されることにより、社会との無縁や地域とのつながりがなくなってきたそうです。
結婚をしなかったり、子供を作らなかったり、自由でいることが反って無縁社会をつくることになっているとのことです。犯罪や事件を生む−今が良ければいいというような生き方。
故に、生だけを見て、死生観を考えないのだそうです。

神とのつながりを意識でもって生きることが大事であると学びました。
私たち人間は神のご意図により、分け御霊を与えられ、ことばが使えることで感謝や感動が生まれることも学びました。

また「神から人へ1999年10月20日」の項ー神への祈り、神を求める心ーも学びました。

本年第6回は6月23日(土)です。

おつかれさまでした。