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神誥記
2000年5月16日「神様とのご縁の結び方」について

神から人へ。人から神へ。
(宗教以外で人が神様とご縁を結ぶには、どうすればよいのでしょうか。また、祈りの仕方もお教え下さい)

では教えん。神との縁の結び方。縁をつなげて続ける方を。

先ずは心を浄めてゆくこと。神に感謝を捧げゆくこと。そのみを日々に繰り返せよ。怠(おこた)ることなく怠(なま)けることなく。

日々の感謝は己を浄め、心を高めて、保ちおきなん。なれば特別難(かた)きこと、するを要さず。するも意味なし。

神への感謝は特別ならず。人の務めよ。当然のこと。なれば神への奉納も、神との縁を結ぶにあれど、差なる供物や献上よりも、神は喜び、受け取られん。神への感謝の高き祈りを。

なれば祈りは感謝から。神への感謝と生の喜び。そのみを伝えよ。届けよ、神に。

人の祈りは、魂浄め、心を高めてこそ行えよ。
なれど祈りの力をもちて、魂浄める、そもまた可なり。

二つは車の両輪の如(ごと)。魂浄めて祈りを高めよ。祈りを高めて魂浄めよ。

魂浄める、そは易きこと。人への感謝と、幸(さち)願う、素直な誠の心のみあれ。なれば心は浄まらん。

自ずと謙虚に清浄に、保たれゆかん。高まりゆかん。なれば神への祈りも同じ。

神のお役に立つことを、神に願い手、捧げる心。なればことばは平易にあれよ。難しき極、ことばは要らぬ。

ただに素直な音を選べよ。澄みし音にて清らかに。無心の心で、委ねる心で。

「いろは」「ひふみ」も、祈りなれば、神に伝えて捧げんときには、さらに心を込めて唱えよ。

神に最も近づく祈り。なれば感謝し、言霊思えよ。意味は知らずに、音のみにても、祈りは届かん。叶えられん。

なれどあやまち、間違うなかれ。神へ祈りを捧げることを。真の祈りは感謝なれば、日々に欠かさず唱えるがよし。

なれど言霊、霊の力よ。人知に解き得ぬ力にあれば、人は神と相和せばよし。他には要らぬ。無心にあれよ。

己が自(みずか)らなすにはあらず。神の力を信ずればよし。神との唱和を楽しめばよし。

なれば「いろは」も「ひふみ祝詞」も、どちらも神世のことばにあれば、意味より大切。音の力よ。

神と相和し交流せん。無欲に、無邪気に、赤子の心で。

神は愛でなん。愛(いと)しまん。人との唱和を。交流を。

「いろは」を唱えよ。響かせよ。真空間にこだませよ。

「ひふみ」を謳えよ。宣(の)り上げよ。天のかなたに届かせよ。

高天原の神の界にも、声は届きて、共鳴せん。

人と神との交流適わん。祈りは交わり、溶けあわん。人と神との縁はつながり、神は結びて、離すことなし。

なれば人も、誠を見せよ。神を信じぬ心は捨てて、素直に祈れよ。我を捨てよ。

神に近づく無我の心は、必ず人の昇華を進めん。

なれば祈りはいずれも可なれど、最も強き言霊なるは、「いろは」「ひふみ」を先ず大切に。

(順序はどのように祈るべきでしょうか)
いずれが先にも、同じこと。神との交信交流は、いずれか一つに十分なれば。

なれど順番知りたくば、人が祈りを届けたとき、神への願いを伝えたきとき、そのとき「ひふみ」を唱えるべし。

祈りのことばの後にても、先にてもよし。違いはなからん。なれど順番意味もなし。神への心は伝わるなれば。

「いろは」の祈りも、同じなり。神への感謝を込めて唱えよ。日頃の平穏、健康に、無事なることに、感謝捧げよ。

なれば「いろは」は清浄なれよ。穏やかなれよ。緩やかなれよ。強き思いを込めることなく。

ただ安らかに、平らかに。強く激しき祈りの声は、言霊汚さん。音を濁さん。澄みて聖なる、声もて唱えよ。

神との唱和を楽しめよ。喜び溢れよ。輝けよ。命の光を賜れよ。

さにて本日祈りのことと、神との縁を教えたり。宗教無くとも、神は滅びず。

人の心の魂に、永久(とわ)に栄えて、あまねく照らさん。

なれば神を信じぬ者は、神の目覚めぬ者なれば、手伝え、神の復活を。

神とご縁を結べぬ者は、曇りの強き魂(たま)なれば、先ずは曇りを取りてやるべし。

なれどそもまた宿命ならずや。神との縁を結べぬ定めよ。なれど手伝え、人救い。己の御霊を磨くためなれ。

さらに向上昇華のために。さにて。

  • 要約   2012.06.25 ひふみともこ

 オウム真理教の指名手配犯が皆逮捕されました。
しかし、それで事件は解決したわけではなく、今でも似たような新興宗教に入っていく若者は少なくないようです。
そうした人たちが何を求めて入信するのかはわかりませんが、自分も不思議な力を身につけたいとか、現状に不満を持っていて救われたいとか、現世利益的なことを求めているのでしょうか。
人間は神の分け御霊を頂いていて、他の生命体とは異なります。
言葉を使えることが一番の大きな違いでしょう。
この言葉を使えることを可能にしているのは、その精巧な脳を持っていることであり、そこに神が霊魂をも宿されたのだと思います。
そういう意味では人は誰でも神との縁がない者はいないのです。
ただ、そのことを自覚して、分け御霊に相応しい生き方をしようと志している人は多くはないようです。
神が無意味に人というものを創られたわけはないのですから、そこに意味を見つけようとして、分け御霊に相応しい生き方をしようと願うか否か。その分け御霊を目覚めさせ、人の本性である霊性を発動するのが祈りの力です。
人の本性は祈ることであると、棚次正和氏も仰っています。
祈っているとき、人は一人で祈っているのではなく、神も共に祈って下さっているし、喜んで傍にいて下さっています。
祈ると心穏やかに安らかになるのは、そのせいではないでしょうか。
神との縁を深めるためには、いい祈りを続けること、いい言霊を自分の分け御霊に聞かせてあげることだと思います。



第72回 和の会を終えて。

事務局からのお知らせです。
今月は「神様とのご縁の結び方」について学びました。
人は神様の願いを叶えるための道具でもあり、役割があるのだそうです。自分の現世の欲のみを神様にお願いするのもまちがいであるとのこと。
私たちは神様とは霊魂で繋がっているのであり、神様やご先祖様、英霊、震災でお亡くなりになられた多くの人々に、今、自分が在ることに感謝することで自分の魂を浄めることが神様とのご縁の第1歩だということを学びました。

また「神から人へ1999年10月21日」の項ー神から与えられたことばと光と魂ーも学びました。

本年第7回は7月21日(土)です。

おつかれさまでした。