「神誥記」 2000年3月15日
(先祖のご供養について、さらに詳しくお教えください。)
では答えん。
先祖というは今ある祖先と、そのまた前世、前々世、遥かに上らば、己が作られ、御霊(みたま)授けし親神様まで、
元まで返りて含まるるなり。
なれど今の世、今世にては、知ること適わぬ親神なれば、今の世のみの先祖を供養し、ご縁を尊び、祀らばよし。
なれど、忘るな、大本の、最も尊ぶ己の祖先は、己を作りし、親神なれば、心の奥にも眠らるる、己の本神、そを敬えよ。
さにて先祖も、供養され、恵みも守護も、授け下ろさん。
(親神様は、皆同じですか)
さなり。元に戻らば、全ては同じ。なれど、異なる神々が、それぞれ作りし者もあるらん。
神々作りし神は一つの、宇宙の根幹、大本なれば、ス神それのみ、全ての中心。
(では、ス神お一人をお祭りすれば、それでもよいのでしょうか)
さなり、なれど、心の貧しき者は、それさえなせぬ、無礼の者なり。
なれど、さらにも、ゆとりを持たば、他の神々、先祖も祀れよ。
(今の自分の直接の先祖を供養することにはどのような意味がありましょうか)
そもまた大事な供養なり。己の生まれし直接の親、この世に結ばれ作られし縁。
そもまた希有の縁なれば、感謝し祀りて、尊べよ。
なれどそれのみ、先祖のみでは、不足を忘るな、充分ならず。
(自分を作られた親神様は、守護神様のことでしょうか)
さなり。なれど変わりて移るものなれ、多くの神々、関わりて、今のこの世は作られ、保たれ。
一つに限りて、それのみにては、感謝も祈りも、充分ならず。
全ての神への感謝とは、今ある生を感謝して、真面目に生きるが、最も大切。
なれどそれにて終わりなば、感謝も足らず、届かざる。まして己の精進昇華は、低く留まり、供養とならず。
神とのご縁を得し後には、霊行行い、神に従い、行を積むべし。
さなれば先祖の修行も進みて、不幸も病も、治まるらん。
(先祖にとって,子孫の供養とは、どのような意味を持つのでしょうか)
最も簡単、容易な供養は、供物(くもつ)供えて祈りを捧げ、折々墓に参ること。
なれどそれにて安んじなば,子孫の感謝は届き得ず。
先祖のあの世の修行には、執着迷妄 取れぬ間は、苦しみ悲しみ、煩悩(ぼんのう)ばかり。
幽界にてもこの世を思い、この世に戻るを諦め得ねば、この世の子孫に頼らんと、飢えと病の苦しみを、伝えて、訴え、救いを求むる。
なれば子孫は執着解きて、己の肉体滅びしことを、よくよく悟らせ、知らせるべけれ。
さにてようやく迷いも取れて、幽界離れて、浄化せん。
幽界入らば、子孫も忘れ、ただひたすらに行を積むらん。
さなりて先祖と子孫の縁も、ようやく終わりて、務めも終わる。
なれば子孫は、先祖の苦しみ、訴え聞いて、修行を助け、早くに霊界、入れるように、手伝い助けて、救うべし。
さなりて子孫も、己の死には、迷わず幽界、霊界へと、執着離れて修行を積み得ん。
先祖の苦しみ、悲しみは、取れずば、必ず、子孫に表れ、執着凝(こ)りて、不幸もたらす。
(先祖の供養で、先祖の執着も取れてゆくのでしょうか)
さなり。最も尊きご供養は、神への霊行、励むこと。
さなれば神とのご縁も深まり、先祖に光も、強まり当たらん。
さにて、明日にも、また答えん。しかと納めよ、己の肚(はら)に。
要約 2013年3月 ひふみともこ
私たちには誰にでも親がいます。祖父母がいます。先祖がいます。
さらに先祖は人類の始まりまで遡り、途中で切れてなくなっている人はいません。
もしいるとすれば、その人は突然どこかから湧いてきたか天から突然降ってきたということになるのでしょう。
つまり、私たちの命及び魂は切れることなく先祖とつながっているのです。
そのつながりの中で、今という短い時間を生きているのが「私」であり「あなた」であり、今の現界を生きている人々です。
言い換えれば私たちは、それぞれの先祖の代表として今を生きているのです。
リレー走者がバトンを受け継いでコースを走るように、私たちは親から命・魂というバトンを受け取ってコースを走り、次の走者にバトンを渡していくのです。
先祖代々築いてきた様々な恩恵を受け継いで、また先祖の犯した過ちをも受け継いで、私たちの魂はそれら全てと縁を持ち、つながって生きています。
そうしたつながりを無視しようとか逃れようとしてもそれはできません。
自分は自分一人で自分の人生を生きるのだ、先祖なんて関係ないと力んでも、そうはいかないのです。
そうしたつながりを大切にすることが先祖供養です。先祖となった魂たちは、供養を受けることで子孫を守護する力を強めます。
もし先祖の中にこの世への執着が強い方がおられると、それは必ず子孫に表れると言います。
その執着を解いて差し上げ、安らかにあの世(幽界・霊界)に逝って頂くためには、子孫からの供養が必要となります。
また、子孫の現界での生き方は先祖にも影響を与えます。
子孫が大罪を犯したりすることは必ず先祖を苦しめ悲しめます。
ご先祖様にあの世で安らかに修行して頂き、私たちへの守護を強めて下さるような生き方をするのは、生きている者の務めとも言えるでしょう。
自分の私利私欲・名誉栄達を求めてあくせく生きてもそれは何の徳にもなりません。
人に喜ばれるような生き方、神様に喜んで頂けるような生き方をしていくことこそ、ご先祖さまの最高のご供養になることでしょう
第80回 和の会を終えて。
事務局からのお知らせです。
2013年第3回の和の会は3月2日に開催されました。
今月は先祖のご供養についてのお話をいただきました。
とても分かり易いお話で、私たちが今いるのは、ご先祖様がいるからこそ、今の自分が在るんだということを
改めて認識させられましたし、一人でも欠けていたら今の自分がないことも学びました。
先週は「春一番」も吹きました。
日一日と春らしくはなりますが、花粉もいっぱいで辛い方々も多いと思われます。
皆々様のご健康お祈り申し上げます。
おつかれさまでした。