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「神誥記」 2000年4月30日 靖国神社参拝

神から人へ。人から神へ。

神の教えはようやく終わりぬ。後はそなたと人々の,問いに答えて教えてゆかん。

なれば尋ねよ、小さきことも、つまらぬことでも、晴らしてゆかん。教えてゆかん、後のため。

さらに迷いも深くなりなん。さなる後の世、人のため、導き示すそのために、人の代わりにそなたが問えよ。

問いて知らせよ、求むる魂(たま)に。迷い彷(さまよ)うこの世あの世の,多くの魂(たましい)救いてゆけよ。さにて、本日、何を問いたき。

(戦争でなくなった多くの方々を祀る靖国神社に参拝することを,神様はどのようにお考えでしょうか。また、そうした方々の霊をお慰めするには、どうすればよろしいでしょうか)

では答えん。戦後日を経(へ)て、人の心は、ますます我欲を深め,強めき。

なれば己と縁なき者の,苦労困憊、省(かえり)みもせず、己の今の繁栄さえも、己のおかげとあやまつ誤り。

神は呆れて救い難く、さなる貧しき魂,心を,最も早く諌めたけれど、なかなか叶わず、行き渡らず。

なれど気付きて,心ある者,正しき道を知りぬる者は、さなる迷える曇りし魂(たま)を救い導き,教えてやれよ。

戦死によりて、迷える魂(たましい)、今も、戦時の恐怖,悲惨さ、さなる思いに苦しみて、あの世の幽界、霊界にて、いまだ怯(おび)えて、救われもせず。

行きて残りし魂も,死にて帰りし魂も,あの世の彼方に行きぬれば、この世の執着、迷妄取りて、次なる修行を積まねばならぬ。

なれば迷いてさまよう魂、苦しみ忘れぬ魂を,今生ある者は慰めて、光の存在,神の存在,神のご意図を教えてやれよ。

己の生のありし頃に、神への感謝の足らざる魂(たま)は、あの世に帰りて、慰められず、この世に未練執着残し、己の死さえも分からぬものなり。

生への執着、家族への愛、物質界の欲望さえも、消えず残りて、苦しみ増さん。

さらに哀れな迷える霊(たま)は、己の残しし霊行に,気付かず,逆に恨みを深めん。

迷える霊魂、慰むための、最も正しく、よき道は,神の存在教えてやること。神とのご縁を結びてやること。

神の光に導きて、神に救いを求むる心と,神への感謝を取り戻すこと。

神への詫びもさらなれど、神とのご縁を結びてやれよ。

(生ある者が、死んだ方々の霊魂を、どのように神様に近づけ、ご縁を結んで差し上げればよいのでしょうか)

そもまた、容易、明らかならずや。死にても魂,心はあるらん。目に見え触れ得る肉体なけれど、魂さまよい,近くにあるもの。

なれば、想念,思いの中で,呼びかけ悟らせ,気付かせてやれ。

或(ある)はまた、ことばの言霊音霊(おとだま)あるらん。その亡くなりし場所に行き、そこに迷える魂に,声かけ、祈りて、諭(さと)してやれよ。

必ず魂、そを聞きて、気付き,下座して、あの世に戻らん。

いずこに死にしか分からぬものにも、その遺品なり,写真なり,何にてもよし、想念なれば。

(靖国神社などに参拝するときの、生ある者の心構えをお教え下さい)

いずれの参拝,墓参も同じ。生ある者は、感謝捧げよ。

死にて迷える魂たちも、それに来d器,迷いも覚めなん。さにて、祈りて,慰めてやれ。

生賜りしことの感謝をもちて、あの世に帰ることの意味を,修行のあるを、教えてやれよ。

なれど気を付け,心すべきは,弔(とむら)う者の執着出すなよ。悲しみ強く,懐かしむこと、そもまたやむなく当然なれど、そがまた深めん,執着を。残しし家族や財産までも,死者は忘れず,昇華し得ず。

最も大事な修行とは。先ずはこの世に残ししものや、人への執着離れることなり。

なれば、生ある者たちも、ただ泣きぬれて過ごすになく,感謝の思いを届けてやるべし。

さにて互いに昇華して、それぞれ修行も進みゆきなん。

死は苦ならず、悲しみならず。神の恩愛慈愛の一つ。生あらばこそ,死もあるらん。

死は終わりならず、消滅ならず。魂続きて、あの世へと、次なる誕生,修行を始めん。

なれば再生繰り返し,己の汚れを取りてゆくべし。

この世の縁も偶然ならず。なればご縁を大切にして,神への感謝と高めるがよし。

この世の縁は永久(とわ)に続かん。なれど現界、この世限りの,ご縁もある欄,短き縁も。

そもまた全て己次第。神の決めらることにはあらず。人と人との縁なれば、消えるも可なり。続くも可なり。

なれど切るなよ。離るるなかれ。神とのご縁は絶対なれば。神との縁の続く限りは,人と人との縁も永久(とわ)なり。

神と結ばれ、つながる霊は,この世の短き縁にはあらず。必ず結ばれ、つながりておる。

なれば神とのご縁をもちて、人も救われ、迷いも晴れなん。

さにて本日、問いを終えん。さらに問いたきことあらば、また問い直せよ、別なるときに。さに



要約   2013年4月 ひふみともこ

戦後68年。
日本は空襲・爆撃の焼け野原から奇跡の復興を果たし、経済的な発展を遂げ、世界中から高い信頼を得る国となりました。
その一方で、自分が今平和に安心して暮らせること、物質的に不自由なく生活できることへの感謝を忘れ、それが当たり前であると錯覚してきているように思えます。

今の日本の平和や豊かさの基盤となっているものは何でしょうか。
戦後の人々が必死に働き、努力したからでしょうか。もちろん、そうした人々の努力と勤勉さがあってこその復興であり、経済的繁栄です。
しかし、同時に、戦争で犠牲になられた多くの御魂のあることを忘れてはいけないでしょう。

今あるものは全て過去とのつながりの中に存在するのです。
過去の蓄積の上に私たちは存在しています。
確かに過去には幾多の過ちもあったでしょう。
しかし、過去の過ちを断罪し、その過ちに関わった人たちを批判して終わるのではなく、そこから学び、未来に活かしていくことが大切なのではないでしょうか。

人類の歴史は過ちの繰り返しなのだとも思います。
言い換えれば、全てのこと・もの・人は、後の学びのための犠牲でもあるのです。
加害者も被害者もなく、どちらも未来の学びのための犠牲者なのです。その犠牲がなければ、私たちは何も学べず、成長もなかったことでしょう。
 そうであるなら、私たちは過去の全てに感謝し、犠牲になって下さったことに感謝し、同時にお詫びすることが大切なのだと思います。

 戦争により亡くなった方たちの御霊の中には、未だに供養されることなく成仏できないでいらっしゃる方もおられるそうです。犠牲になって下さったことに感謝の気持ちを捧げて、御魂を御慰めすること。
それは、今の平和と繁栄を満喫する者の当然の務めであると思います。
 「慰霊」により、あらゆる御霊の犠牲をねぎらい、安らかになって頂くこと。
それは、犠牲になられた方たちだけでなく、慰霊する側の魂を慰めることにもつながります。
 どうか、身近な方だけでなく、過去の方たち、とりわけ先の戦争の犠牲者たちへの慰霊を忘れないでくださいますよう。

第81回 和の会を終えて。

事務局からのお知らせです。
2013年第4回の和の会は4月6日に開催されました。

今月は和の会の有志の皆さんが一二三先生と4月1日より4日間の,皇居での勤労奉仕の後での和の会でした。
わたくしは勤労奉仕は仕事の都合、今月の和の会は私用で欠席となりました。

今回の靖国神社のお話は、先生からは直接のお話を伺わってはいませんが、キーボードで文字を打つごとに、心に入ってくるような気がいたしました。

入学式も終わり、いよいよ春爛漫の季節になりますが、お体をくずさないようご自愛下さい


おつかれさまでした。