「神誥記」 2000年3月16日 守護神のことばを聞くには
神から人へ。
神から人へ,伝え残すも終わりなれば、今は問いもて、答えてゆかん。さにて本日何を問うや。
(守護神様の声を聞こえぬ者は、どうすればよろしいでしょうか)
さても疎(おろ)かに考えるなよ。なれど真の道は一つに 示され,見せられ,誘(いざな)われん。
人のなすべき霊行も,生業学業定められ、そに従わば、全てよからん。
他になすべきことあらば、仕組み起こりて、神は示さん。
多くを求めて,考え過ぎなば、無駄な骨折り、気苦労ばかり。
神は望まぬ,愚かな徒労は。最も大切、必要なるは、必ず起こりて,知るに至らん。
神の仕組みはそのためなれば、素直に生きなば、必ず従う。大方迷わず,進みゆくもの。
なれば焦らず,素直に従え。己の願望、欲望強めて、能力越えしことは望むな。
神の自然の理(ことわり)ならば、幾つの困難 挫折はありても、必ず高まり、さらに進まん。
迷える道なれ、踏みとどまりて、悩み、ためらい、惑えども、進む勇気と 辛抱 忍耐。
先ずは続けて,進歩を計れよ。
なれど諦(あきら)め、観念大事。よからぬ執着,執念は、かえりて徒(あだ)となるらめば、ときには離れて,問い直せ。
必ず見えなん、己の霊行。生業続けて,己を養え。
最も身近にあることさえ、なせぬものなら、何もなし得ぬ。
謙虚に臨みて、己鍛えて,その後求めよ、さらなる昇華を。
なれど自ら望めども、神の許しのなきことならば、ことは進まず,困難ばかり。
神のご意図を誤らば、禊ぎもきつかれ、気付くも大事。
(耐え抜くことと、諦めと、どちらが大切でしょうか)
どちらも大切、見極めよ。なれど、難(かた)きが、正しき判断。
神のご意図に背きなば、ことは進まぬ理なれど、ときには耐えて、精進せよと、そを求めるも神の意図。
(目標を捨てず,挫折を繰り返しても努力するべきなのか、それとも、その目標は誤っているからやめよというご意図なのか、判断が難しいと思うのですが)
然らば問えよ、神のご意図を。なれば聞こえぬ声なれば、先ずは辛抱、諦めるなよ。
やめることより,続けよ、一途に。他になすべきことあらば、必ず仕組まれ,示されん。
さなくば耐えて、諦めるなとの、神のご意図を解せばよからん。
神のご意図を気にするよりも、全てを委(ゆだ)ねて人事を尽くし,その後 結果に読み取れよ。己の精進,昇華の証(あかし)を。
人間心の独断、専断(せんだん)、必ず禊がれ、妨げ多し。
先ずは素直に,流されて、多くを望まず,目の前の、なすべきことを徴(しるし)と読みて、己の最善 尽くすに如(し)かず。
さにても尚も,禊がれなば、そこにも神のご意図あれ。あやまち、正せよ。よく省みよ。
多少の苦労や 努力に忍耐,先ずは求めよ,己の修行。
楽のみ追わば、修行とならず。良薬求めば,苦さも尊し。
楽のみ多かる生ならば、神の恵みも ありがたからず。
光のまぶしさ、明るさは、暗き道のり歩きし者のみ、目に滲み、心に滲みいらん。
神の恩愛,身に受けて、忘れ易きが、多くの衆生よ。
日々に感謝し、祈り捧げて、高める努力も、行のうち。
本日、守護神、行のありかた、教えしことを、よく振り返り,己の標(しるべ)とされよ。
全ては同じ,一筋の道。裏から聞きても,表からでも,神の神意に変わりなければ。
全ての問いは,一つの真理に、通じてゆくなり。つながるなり。
さにて。
要約 2013年5月 ひふみともこ
全ての人に、守護神・守護霊・指導霊という方が存在するそうです。
もしそれが本当なら、なぜそのことばや導きを、もっと簡単に、直接的に、感じたり聞いたりできるようにしてくれないのでしょうか。
そうすればもっといい人生ができるかもしれないし、困難なことにも出会わず、安全で確実な道を歩むことができるのに・・・、意地悪だ!なんて思ったことはありませんか?
でも聞こえない・感じられないということは、聞く・感じる必要がないから聞超えない・感じられないのかもしれません。
或いは、聞こえていないようでも、心の奥の無意識のところ(潜在意識)では聞いているのかもしれません。
どちらにしても、人生の中に起きることは全て必然であり、意味があり、与えられた環境の中で最善を尽くすしかないということなのでしょう。
コツコツと地道に生きること。
辛いことや苦しいことでもそれに向き合い、その意味を探し、その意味が見つかったとき(=悟ったとき)、一つ魂は成長するのです。
逆に言えば、辛いこと・苦しいことにぶつからないと、人は真剣に、人生の意味や自分が人生で何をすべきか、何をまなぶべきかを 考えないのかもしれません。
守護神・守護霊・指導霊といった方たちは、直接肉眼で見えるような形で現れて下さいませんが、その人の魂の成長に必要なこと・もの・人は全て与えて下さっています。
素直な気持ちで受け入れようという気持ちになれば、次第に霊性が磨かれて、ことばではなくても、「想い」というものが感じられるようになっていきます。
ご自分の霊性を高めていったくださいね。
第82回 和の会を終えて。
事務局からのお知らせです。
2013年第5回の和の会は5月25日に開催されました。
人は自然と切り離された世界で生きていると魂が揺さぶられることがないそうです。自然と接していることで人間は霊的なものの影響を受け,自分の心の奥に眠っているなにかが呼び起こされるのだそうです。
動物が敏感であるというのはそういうことだということを学びました。
「神から人へ」は1999年10月29日の神示の音読と、ご説明もございました。
一二三先生のお忙しさは相変わらずで,この会が終わった足で、気仙沼を中心とした慰霊に向われましたことも併せてご報告させていただきます。
いよいよ6月です。沖縄では早くも梅雨に入りました。じめっとした季節になりますが、お体をくずさないようご自愛下さい
おつかれさまでした。