「神誥記」 2000年5月21日 正義について
(人が正しいと思うことが、神様のお邪魔になることを、どのように知ることができるのでしょうか。慈善のために寄附をしたりすることは、神様のお邪魔になる場合があると聞きました。そんな時、その人の善意は、本人の気持ちに反して、禊がれなければならないのでしょうか)
さても多くの疑問なり。一つ一つに答えてゆかん。
一つ、人の正義とは、そもそも神の尺度基準と、多くが外れ、反するものなり。
なれど人には法律も、罰も必要、裁きも必要。なぜならば、人の心が神から離れ、絶対心理を失いいぬれば。
神の基準を正しく守り、基準に照らして行わば、この世に起こる多くの犯罪、事件もなくなり、消滅しなん。
なれど今の世、地上には、人の狂いし基準のみ。なればそこから間違い生まれ、あやまち罪科(つみとが)、そも必定(ひつじょう)。
神の基準を知りたくば、先ずは己の奥におわする、神に目覚めよ。導き受けよ。
さにても難し。解決ならず。己の神に目覚ねばこそ、神の基準も失いなんを。
神の基準を問うならば、先ずは最も易(やさ)しき方(ほう)は、神との波長を合わすこと。
神との祈りを唱和させ、己の魂、浄めることなり。
なれど適わず。救われず。神の基準を伝えども、今のこの世に、無駄に滅びん。
神の基準を知ることは、先ずは己の我執(がしゅう)を離れ、我欲をなくし、浄化すること。
素直な魂、汚れぬ目にこそ、神の基準は示されん。
なれどこの世の人知の正義、己の富や利益のみを、守るためなり。広げるためなり。
神の望まる正義とは、他人の幸せ 増すか否か。神の手伝い 能うか否か。
人の心の浄化昇華(しょうげ)に、適うか否か、それのみなれば
なれば人知の正義といえども、神の救いのてつだいに、適うものなら、喜ばれなん。
なれど人知の正義の多くは、だだに己の満足のみにて、己の心を高めるになく、相手の不幸を喜ぶものなり。
人のこの世の修行を忘れ、人知の基準に正しきことのみ、行い死なば、昇華もならず。
最も尊き正義とは、己の大事な物さえも、人に与えて、救わんとして、何も求めぬ無欲の行い。
人への寄付も、そが肝心。人の幸せ望むものなら、必ず心は相手に通じ、相手の心も昇華せん。
互いが昇華し救われなん。さなる寄付なら、許されなん。相手の気付きも、悟りも起こらん。
互いの感謝を高めゆけよ。なれば神の御心に 適う正義と高まらん。
神の心に適うか否か。そは一つなり。照らす基準は。
復讐(ふくしゅう)心や、怨念(おんねん)は、最も嫌わる正義なり。偽善の正義は、正義にあらず。
相手の不幸を望む処罰も、神の悲しむ正義の一つ。たとえ悪人、加害者とても、心を高める救いを与えよ。
さにて相手の改悛(かいしゅん)導き、心の昇華を助けてやれよ。そもまた一つの修行ならずや。周囲の昇華もさらに進まん。
そが望みなり。願いなり
ひとりの罪人(つみびと)救える物は、必ず百人、千人も救いてゆかん。助けてゆかん。
さなる大きな貢献を、神に捧げて、努力せよ。罪人なれど、憎むなよ。己の昇華の導きならん。
神の示しし基準に沿いて、人を導き、正義をなせよ。
さにて本日、正義のことを、神の基準を示したり。人知の正義に曇りし目には、なかなか見えぬ、基準ならん。
精進努力。心の浄化を。さにて
要約
正義の基準について、人間と神とは同じなのでしょうか。
同じならば、なぜこの世の中には争い・諍い・事件・犯罪など、不条理なことや納得のいかないこと、許せないことが多いのでしょうか。
「神も仏もあるものか!」と天を呪いたくなること・恨みたくなることばかりです。
もしかしたら、神の次元での正義とは、人の次元での正義と違うのかもしれません。
そもそも「正義」ということすら存在しないのが神の次元なのかもしれません。
起こったことには全て原因があり、そして、起こることには全て結果が伴う。
いわゆる因果応報の法則が全てを律しているとも聞いたことがあります。仏教の教えだったでしょうか。
神の次元には、人間の感情や思惑といったことの入る余地はないのだと思います。
人間がどんなに「許せない、間違っている、受け容れられない」と息巻いても、神の世界では、そんな人間の怒り・憤りとは全く無縁に、非情に、全てが運行するのだと思います。
何百万年もの間、宇宙は、そして神は、数えきれないほどの人々の涙や怒りを呑み込みながら、流転してきました。
宇宙は、神は、なぜ人というものを地球上に生み出したのか。その意図とは?
人が地球上に生み出されたのが、宇宙の必然・神の意図であるなら、その意図に沿った生き方を全うすることが、一人一人の指名だと思われます。
その意図に沿ったことのみが神の世界での「正しいこと」なのでしょう。
神の境涯に少しでも近づけたら、人の心はもっと穏やかに平らかになるのでしょうね。
今の地球上の人類の次元はまだまだ遅れているということなんでしょうね。
第86回 和の会を終えて。
事務局からのお知らせです。
2013年第10回の和の会は12月21日に開催されました。
「正義」について学びました。
この世に生まれ、この世で魂を成長させることが大事であり、神様からお借りした魂を成長浄化させることが神の基準に適うということを学びました。
日本人は、神を信じない人でも、御札を踏んだりしないー日本人は魂の中に見えないものへの畏れや感謝の気持ちを持っており、そういうものを成長させることが大事だということも学びました。
本年の和の会も無事全て終了いたしました。
来年2月の和の会には、多くの皆様にお越しいただけますよう、心よりお待ち申し上げます。
おつかれさまでした。