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『神誥記』 2000年3月18日 

「心の自由」
(心の自由さについて)

では教えん。

神から人へ、最も望むは、人の自由な、心と体。囚(とら)われのない、わだかまりない、素直で明るき心のありよう。

神にも近づき高まるための、心のありかた、大切なれば、囚われ拘(こだわ)る、そを改めよ。
さにても難(むずか)し、人間心は。必ず迷いや、疑いが、心の自由を妨げん。

欲望、嫉妬、疑い、惑い。人の心の曇の全てが、心に不自由、負担を与えん。

最も尊き心にあれば、神との交信、可能にするは、心の自由なときのみならん。

いかにも難し、苦しく思えど、一度(ひとたび)自由を手にせし者は、後には容易に行いなせん。

苦しく思いて力を入れるな。心に固く決意固めど、かえりて徒(あだ)なり、邪魔となり。

無邪気に笑う赤子のように、無心に帰れよ、思い出せ。汚れぬ頃の、子どもの心よ。

邪心も邪執(じゃしゅう)もなかりし頃よ。

神との無邪気な交流は、人間心のせわしき者には、不可能なれば、我を出すなかれ。

我を持ち、我欲を強めし者には、無邪気な交流、戯(たわむ)れ得(え)せぬ。

人間心と欲望願望、遥かな理想と高き心は、似ても異なる別のこと。
量れぬ高さと尊さなれば、考え悩めど、つかみ得ぬもの。

神に委(ゆだ)ねて諦(あきら)めしとき、束縛離れん、執着取れん。

任せてなおかつ、努力も惜しまず、無欲無心の境地、境涯(きょうがい)。

神に近づき、高まるほどに、神の心に歩み寄り、俗念離れて、汚れも浄まり。

無理に離れて、逃れんと、力(りき)む心に翳(かげ)りも生じん。

先ずは重ねよ、霊行を。深く刻めよ、人の幸せ。

己のことのみ第一とせば、心は曇らん、翳(かげ)り強めん。

理想の遠き境涯(きょうがい)なれど、己のかけ得るものあらば、それに一途(いちず)に己を打ち込め。

なれど我欲の行いならば、神の心は最も遠し。

ただひたすらの努力と辛抱。そをも厭(いと)わず感謝捧げて、素直になりて気付きしときには、心の垢(あか)も浄められ、真白き雪のまばゆさなるらん。

さにて心の自由さ伝え、励みとされよ。支えとされよ。

人は必ず昇華するもの。そを信じなば、迷いも腫れん。





第92回 和の会を終えて。


事務局からのお知らせです。
2014年第5回の和の会は12月20日に開催されました。
12月例会には、初めてのご参加者20名様を始め.36名の皆々様が出席下さいました。ちょっとびっくりです。
今回は心の自由について学びました。
心の状態がいい時というのは、感謝する気持ちをあったりする時で、いい顔にもなるし、心も魂も輝くのだそうです。
またいい波動もうまれるのでそうです。感謝している時というのは神様と交信をしている状態だそうです。
自分のことばかり考えるのではなく、人のことや平和や、感謝の気持ちをもつことで執着も取れてくるということも学びました。

また「神から人へ」1999年11月10日についても講話と解説がありました。
次回は2月28日です。皆々様のご参加をお待ち申し上げます。


おつかれさまでした。