平成21年(2009年)3月14日 大和魂
神から人へ、人から神へ。
多くの縁と 絆に結ばれ、人はこの世で 行(ぎょう)をなし、一人でなし得ぬ 功(いさお)を 積みて、果てし後(のち)には 宇宙に帰り、
子々孫々(ししそんそん)までも 栄えるように、天より見守り、導かむ。
さにて本日、日本人の霊性と関連する 大和魂について、詳(つまび)らかにせむ。
人は この世に生を享(う)け、それぞれの土地、風土の中にて、歴史の流れに 交(まじ)わりながら、
伝統、文化を身につけて、御魂の奥に そを刻(きざ)む。
なれば 日本は、大和なる国、大和の地にて、育(はぐく)まれ、御魂を養い、後(のち)へと継(つ)がるる。
大和の土地は、大(だい)なる和(わ)なれば、人は互いに和(なご)やかに、丸く納まり、争いもなし。
なれば治世(ちせい)も 穏やかに、上下の別なく 勤勉に、身をば慎み、分(ぶ)をわきまえるもの。
さなる御魂を根源に持つ、世にも稀(まれ)なる 尊(とうと)き魂。
高きは低きを 卑(いや)しまず、低きは高きを 敬(うやま)いて、互いに親しみ 睦(むつ)み合う、大(だい)なる和(わ)こそが、大和なり。
人は互いに平等に、神の周りに 等しく集(つど)い、
神の御影(みかげ)に 感謝を捧(ささ)げ、地上に住める喜びを、祈りに表わし、奉(たてまつ)る。
自然の中に 神を見出し、畏(おそ)れ畏(かしこ)む、謙虚さは、神への感謝と一体に、
万物(ばんぶつ)融和(ゆうわ)の 理想を掲(かか)げる、類(るい)なきまでの 尊(とうと)さよ。
ことばは清らに、言霊を秘め、優美な音にて 表わさる。
弱きを助け、卑怯を嫌い、身の潔白を 第一として、
神の前にて 恥づることなき、身の証(あかし)こそ 立てまほしけれと、命も惜しまぬ、勇(いさ)みの御魂よ。
上なる者ほど 己に厳しく、倫理の心を練磨(れんま)して、下なる者を慈(いつく)しみ、
内なる基準に 神あれば、万古(ばんこ)不易(ふえき)の 礎(いしずえ)ならむ。
大和の御魂に 呼び掛けむ。今こそ目覚めよ、甦(よみがえ)らせよ。
大和の御魂の 尊(とうと)き息吹(いぶ)きを、眠りの中より、吹き返せ。
地上を覆(おお)う、邪(じゃ)なる気を、大和の地より、祓(はら)い去れ。
数は少なく、微力なるとも、一人ひとりが 目覚めれば、
大和の御魂は 宇宙と呼応し、地上の悪さえ 凌駕(りょうが)せむ。
人の内なる 宇宙の理(ことわり)、そに目覚めるが 先決なり。
自然を 離れ、遠ざけるほど、人の心は 荒(すさ)みを進め、自(みずか)ら苦しみ 悩みを 深めむ。
大和の御魂は 自然の中にて、宇宙の則(のり)に 外(はず)れることなし。
太古の人の始まりは、宇宙の神秘を 授(さず)けらるれば、そを伝えるが 言霊なりき。
時は昔に戻れねど、ことばに込めらる言霊にて、人は大和の 御魂と返れよ。
尊(とうと)き御魂は 亡(ほろ)ぶことなし。
時の来たらば、必ずや、尊(とうと)き使命を 果たさざるなし。
絶えて 守りて、信じ、待つべし、やがて訪(おとず)る 栄光を。さにて。
平成21年4月(2009年)4月10日 歩行困難の意味
神から人へ、人から神へ。
人の人生、一生は、短く 早く 過ぎるもの。
なれば人は 一日を、心をこめて、思いを高め、一時(ひととき)の間(ま)をも 逃(のが)さずに、己の持てる 全てをかける、さなる思いで 生きるべし。
さにて本日、何を問うや。
(ある方が、最近、著しく歩行困難になられました。その方にはまだまだご使命がおありかと存じます。歩行困難になられた原因と、どうすれば歩行の力が回復するかをお教えください。)
さても、この世に 生まれし者には、必ず老いあり、病あり。この世における役目を終わらば、やがてはあの世に戻り来て、
生ける間の清算と、御魂に残せる穢(けが)れを祓(はら)い、犯(おか)せし罪や あやまちを、神の前にて 詫びねばならぬ。
足には足の役割あり。人の体を支えつつ、体を動かし、移動して、心と体の動きを促(うなが)す。
心の循環、気の循環、体の細胞一つ一つが、滞(とどこお)ることなく、穢(けが)れを流し、常に清らに保てるように、人は足をば 使うべし。
歩くことには意味のあり。体の健康、それのみならず。体を動かす基本にて、心も共に動くもの。
心は体の動きと共に、囚(とら)われ、拘(こだわ)り、執着 離れ、自由の境地に 解き放たれむ。
歩くことの困難は、心の奥の 惑いの表われ。
心の束縛、蹂躙(じゅうりん)が、足に表われ、歩行を妨(さまた)ぐ。
迷いや悩み、心の疲れは、足の萎(な)えへと 表われむ。
悲しみ、怒り、恐れ、焦りは、心垢(しんく)となりて、淀(よど)みとならむ。
心の健康、充実は、心を動かし、気を遣(つか)うこと。
感謝と 謙虚と 希望と 忍耐。そを手に入れるが、生の意味。
歩けぬときにも、心を動かし、心の自由を 手に入れよ。
心をいかに動かすか。そこそは 人の自由ならむ。
心の自由を 使いこなさば、人には悩みも 惑いもなし。
体は心と共にあり。心が老いて 病むときに、体の老いも 始まらむ。
喜びに満ち、笑いを絶やさず、明るき未来を 描ける者は、体も軽く、伸びやかなり。
体の老いは 避けられぬもの。なれど 心の持ち方一つで、体は心に 従い 動かむ。
体の老いは 緩(ゆる)やかなれど、心の老いは 突然なり。
体の老いには敏(さと)けれど、心の老いには 疎(うと)かるもの。
先ずは 己の心の奥に、神の光を 取り入れるべし。
心に感謝の念あらば、神の光は 眩(まばゆ)く 照らさむ。
体の老いへの囚(とら)われは、心の自由を奪うもの。
体は 借り物、仮のもの。
神から 現世の生のため、現世の修行に 励むため、片時(かたとき) 貸されし 器なり。
生あるうちは、大切に、使える間は、充分 使えよ。
働き、動かし、役立ててこそ、天意(てんい)に応える 生ならむ。
人の体も 宇宙の一部。天の動きに背(そむ)かずに、地球と一つの命と悟らば、体は 天に 動かされむ。
人の心は自由なれども、真(まこと)の自由は、天意(てんい)に沿いて、神の心と一体なる時。
さにて、本日、歩行困難なることの意味を、神の視点より、説き示したり。
人知には不幸なることも、神の目からは 不幸にあらず。そをば 心に留めて置かれよ。さにて。
平成21年(2009年)5月26日ブラック・ホール
神から人へ、人から神へ。
遠き宇宙の 銀河の果ての、宇宙の始めに広がりし、全ての元なる根源は、今も遥かに広がりて、
宇宙全てに遍満(へんまん)し、この世を覆(おお)い、時空を超えて、物質次元にとどまらず。
神の意識が 形となり、物質次元に凝(こ)り固まりて、地球も星も太陽も、意識を表わす 一部なり。
なれば宇宙は 神の意識が、全てに宿れる 空間なり。
そこにて起こる 全ての事象は、神の意思をば 体現す。
宇宙の空間、その中に、突如(とつじょ)現わる 暗黒の穴。
そこには宇宙の発展に、役目を終えし 素粒子(そりゅうし)、光子(こうし)、不要となりし物質の元、
全てが穴に吸い込まれ、浄化の後(のち)に、再び 現わる。
宇宙の高き次元には、物の移動は自由自在。消えるに見えれど、さにあらず。
形を変えるも変幻自在。素粒子となり、光子(こうし)となり、新たな力を、息吹きを受けて、宇宙進化の源となる。
宇宙はさらに進化を遂(と)げて、地球次元の物質を超え、意識を高めていくほどに、物質次元を脱(だっ)するなり。
意識の次元が高まるを、霊性進化と呼ぶなれば、高き次元の霊性は、物質次元に縛(しば)られず、
神の意識と一体となり、宇宙の進化に同調す。
暗黒の穴は、宇宙の彼方、遥かに遠き 所にあらず。
宇宙を汚(けが)す 元なるものは、神の意識を 外(はず)れしものなれ、
神の意識を顧(かえり)みぬ、物質次元に惑わされし、低次の意識を高めむために、意識の一部を変える要あり。
物質次元の魂は、宇宙進化に遅れるままに、進化を妨(さまた)ぐ虞(おそれ)あれば、浄化のために、吸い込まれむ。
意識の低き魂は、物質次元のままなりて、やがては汚(けが)れとなるものなれば、浄化の仕組みが働かむ。
宇宙に無駄なるものはなし。無駄なるものは、浄化され、再生されて、甦(よみがえ)らむ。
宇宙も一つの命なり。
生々(せいせい)流転(るてん)の妙(みょう)なれば、命は形を変えつつも、変わることなく生き続けむ。
古きものは新たまらむ。
意識の次元を高めつつ、進化の成就(じょうじゅ)に 貢献せむ。
宇宙意識は、神の愛。天地万物、全てを化育(かいく)し、全てに神の意識は宿れる。
神の意識の宿らぬはなし。
人の多くが、葬(ほうむ)りし、意識の奥底、御魂の記憶に、眠りし意識を 目覚ませよ。
高次の宇宙に、同調せよ。
物質次元は、まだ低し。物質次元の粗(あら)き波動に、御魂を曇らせ、鈍らすなかれ。
高き波動の御魂となりて、自(みずか)ら宇宙の浄化に寄与せよ。
宇宙の意識は呼び掛けむ。御魂の奥に眠れる意識に。
神の意識を呼び起こさむと、宇宙の意識は言霊となり、御魂に波動を 送るなり。
人にも次元は様々なれど、高き波動は広がらむ。
低き波動を凌駕(りょうが)して、必ず地上の波動を高めむ。
気づき目覚めし者たちは、己の波動をさらにも高めよ。
神の言霊、祈りの言霊、そを怠(おこた)らず、忘れずに、御魂の波動を 日々に高めよ。
そこそが、今の地球にとりて、最も急務の 救いとならむ。さにて。
平成21年(2009年)7月16日 不思議な船との遭遇の意味
神から人へ、人から神へ。
多くのこの世の現実、現象、全てに意味あり、偶然はなし。
人はそこより意味を汲み、神のご意図を、宇宙の意思を、見えない力を 読み取るべし。
さにて本日、そなたの問いは。
(富岡興永宮司様が、以前八丈島に行かれた時、船体に「オセアニアン・グレイシス」と書かれた船が沖で二、三日停泊していたそうです。
煙突もなく、また地元でそのような船は見たことがない、また人影も無かったそうです。この船との遭遇にはどのような意味があるのでしょうか)
さにても小さな出来事なれど、人は己の思い込み、己の心の持ち方にて、大切なことをば見落として、無駄な事には気をかけるもの。
この世の出来事一つ一つ、全てに意味なきものはなし。なれど全てに神の意図、天の意向が働くになし。
人間界の 行い、営み、それらに人の意思も混ざりて、現実界にて現われるとき、始めの意図は大きく変わりぬ。
なればこの世の現象全てを、そのまま神の意図として、そこから意味を読み取るは、人の知能を超えしことなり。
人は己の関心、興味、そに縛(しば)られて逃(のが)れ得ぬ。
純なる無垢の心にあらねば、全てを均等、公平に、見通す力は持ち得ぬもの。
気にする心に囚(とら)われず、しばしの時を 経(へ)た後(のち)に、その持つ意味を考えるべし。
そのとき見えぬ、何らかの意味、わからぬことも、見えてこむ。
真(まこと)に意味あることならば、必ず一度や二度になく、神は必ず、意味を伝えむ。
伝わるまでに、幾度(いくたび)も、形を変えて、時を変え、場所を変えても、伝えぬはなし。
心に疑問や不信の念が、広がる心を 納(おさ)めるべし。
心の波を平らかに、鎮(しず)めて 浄化し、穏やかなれ。
心は静朗、雲ひとつなく、心は平らに、波 静かなれ。
人は心の曇りに囚(とら)われ、波の形に拘(こだわ)りて、自(みずか)ら鎮(しず)める 術(すべ)を持たざる。
波の形は刻一刻と、変わりて留(とど)まることはなし。
波の形の一つ一つ、そこに意味を求めるになく、元なる海に、意識を向けよ。
波は瞬時に移りてゆけど、海は変わらず、命を育(はぐく)む。
全ての事象は波の如(ごと)。
人の一生、人生も、立ちては消える 波の如(ごと)。
人は海を見ることなく、波に囚(とら)われ、日を送る。
気づきしときには、己の生も、海に帰りて、抱(いだ)かれむ。
この世に起こる事象の奥の、元なる意味を、見出せよ。
人はそれぞれ、この世に生まれ、海に気づかず、果てるが多し。
短きこの世の束(つか)の間(ま)を、小さきことに拘(こだわ)ることなく、大(だい)なる意味を 求めてゆけよ。
この世の生は、独りにあらず。人類全てが、向上すべく、一人ひとりの霊性を、高めることに、傾注(けいちゅう)すべし。
この世で学びし御魂の知恵は、海に戻りて、尚 消えず。さらなる富を、もたらさむ。
一人の命は短けれども、悠久の中にて、繰り返され、積み重なりて、豊かに富まむ。
無駄なる学びは一つもなし。
そもまた生きる糧(かて)なれよ。さにて終わる。