2005年8月18日 不眠症について
神から人へ、人から神へ。
互いの祈り、ことばの交流。そを繰り返して幾年(いくとせ)か。
人へと告げ来(こ)し祈りのことばを、人の命の糧(かて)となし、人への支えと、指針とせよと、
今日(こんにち)までの神の苦労を、人は偲(しの)びて、まつろえよ。
神の恩恵、恩愛に、報いる術(すべ)もなきものを、神に捧げる誠の信頼、捧げる命の約束こそは、神への供物(くもつ)、奉納ならん。
人への祈りを神は返して、やがては人の感謝となりて、神に戻りて一巡(ひとめぐ)り。
巡り巡りて繰り返し、祈りのことばも高まりて、やがては遠き宇宙の果てにも、届かぬ先のなきまでに、光は亘(わた)りて照らしゆかん。
宇宙の彼方の果てまでも、神の光は照らし明かして、闇の暗さも迷いの苦悩も、残さず照らし、明らかにせん。
さにて本日、今の世界にはびこる心の病、その一つなる不眠症について答えん。不眠症なるは 今の世の特徴ならん。
人の本来眠るべき、夜に眠らず 灯(あか)りを灯(とも)し、
本来暗き闇の世界を、人の勝手の利便を図りて、人の生の循環を変え、夜に働き、夜に遊び、体を使いて心を乱す。
なれば人の眠りの安らぎ、体の癒しは損(そこ)なわれ、自ら傷つけ、痛めて侵(おか)す。
人の元々備わる力、自然に治癒する生命力も、無駄に浪費し枯渇(こかつ)せん。
一度(ひとたび)かかりし病には、先ずは己を省(かえり)みて 不自然なるを自然に戻し、自然と共に生きる命を、自然の中に見出せよ。
本来人に病はなきもの。自ら作り、招きしものなれ、招きし原因、あやまちを、気付き悟りて、直すべし。
心の乱れは己にあり。体の狂いも生き方ならん。
全てに己の影を見よ。全てが己の鏡ならずや。
薬 治療も 無駄なもの。外のみ変えれど内は変わらず。先ずは己の内に帰れよ。
眠れぬ原因、そはさまざま。眠れぬ結果もまた然(しか)り。
薬に頼らず、医者に任せず、先ずは己の意志を強めよ。
病というも意志の表れ。己の作りし病の素を、自ら省(かえり)み、振り返り、その原因を謙虚に認め、よく戒めて、感謝に変えよ。
病を憎まず、痛みを憎まず。病となりし必然を、素直に受け止め、いたわれよ。己の体を蝕(むしば)むは、病を敵と厭(いと)う心根(こころね)。
心の毒は自ら害し、自ら損(そこ)ねて衰えさせん。
明るき感謝と希望を持てよ。心の毒素を浄化せよ。穢れし御魂に光を当てよ。
苦しみ、痛み、悲しみ、憎しみ、全てが気付きの素ならん。
全てが己の内より出(い)でて、己の気付きを促(うなが)さざるや。
病と闘う、そは誤り。病を己の友として、友に親しみ、付き合えよ。
なくす、除くは 誤り。己の心を改めずして、病の消えるを望むが徒(あだ)なり。
全てが神の恵みと思えよ。気付かぬ我が子の誤りを、苦痛で教え、示さんとさる。
苦痛のときこそ、感謝を強めよ。感謝と気付きを神に捧げよ。
己の内なる毒を禊て、浄化を頂く証(あかし)ならん。
さにて本日、心の病全てに通ずる、病の意味と治し方、付き合い方を教えたり。
時間をかけて焦らずに、積み来(こ)し誤り、非を詫びて、時の流れに回復を待て。
不治の病にあらざれば、気長に己と向き合えよ。さにて
第96回 和の会を終えて。
事務局からのお知らせです。
2015年第4回の和の会は10月3日に開催されました。
10月例会には、35名の皆々様が出席下され、会場はまさに満席でございました
今回は不眠症、そして病全般について学びました。
かつては四季が明確にあり、四季の食べ物をたべることで季節感も感じられましたが、今は一年中食べたいものが食べられ,
めりはりがなくなってきました。
世の中が便利になった反面、いろんな現象が人にも変化をもたらしました。
日本人は人のことを自分のことのように考える「おたがいさま」という言葉が日本人の精神性を表し人間関係を作ってきたということ。それが少なくなり情報ばかりが多くなり、対応できず、人間本来の生き方ができなくなってきたということ。
自然の流れに逆らわず、薬に頼らず、まずその原因である自分自身を見直すことから始めるということが大事だと学びました。
また、「神から人へ」上巻1999年11月19日のご説明もございました。
人はニコニコしているだけでも神様のお役に立っているそうです。
簡単にできそうなので忘れないように毎日を過ごしたいと思います。
本年最後の和の会は12月19日です。皆々様のご参加をお待ち申し上げます。
おつかれさまでした。