2005年8月27日 魂の救いとなるような人の導き方について
神から人へ、人から神へ。
人には人の世界あり。導かれる者、導く者。巡り合わせと仕組みによりて、役目立場は変われども、それぞれ互いが同じなり。
いずれが優り、劣るにあらず。各々(おのおの)欠けたる不足を持ちて、余れる者から分けられるもの。
導く者は学びを得、学びしことより自(みずか)ら悟らん。
人を救うは難しきこと。人の悩みの源を、いずこに探り、求むるか。
それぞれ苦しむ源は、己の内より出(い)でしものなれ、人は己の外にこそ、悲しみ苦しみ悩みの素を、求め押し付け、安んじる。
苦悩の素を己に認め、己の心、思いを変えよ。その手伝いが救いなり。
人の悲しみ、悩みの素を、先ずは自(みずか)ら、思い致せよ。
己の奥の、歪み、狂いを、一つ一つを照らし出し、神の心に諮(はか)り尋ねよ。
己の小さき器の中にて、乱れし惑いに、光を当てよ。
神の目からはいずれも小さく、取るに足らざる 儚(はかな)き幻。
人の救いはそこから始めよ。己を見つめ、目を開くべし。
現実世界の争いも、人と人との諍(いさか)いも、詰まらぬ拘(こだわ)り、捉われなり。
そこに留(とど)まり、悶える魂、そを救うのは、神のみことば。
神のことばを、写し、倣(なら)えよ。人は素直に、我(が)を離れよ。我(が)から逃れて、解き放たれよ。
人は本来、祝福されし、神の栄光、担(にな)いし 者。
己の頂く神の誉(ほま)れを、人は言祝(ことほ)ぎ、謹(つつし)み、受けよ。
救わることを願う者、神の慈愛を望む者、全ては己の心次第。
神に愛され、守られて、この世に生まれ、この世を生きる、栄(は)えある幸(さち)を尊べよ。
数えて数え切れぬ程、人は神の恵みを受けて、返して返せぬ恩愛を、この世の短き間にも、少しは返し、報いるべし。
人の救いは、人にはなせぬ。誠の御魂の救済は、神のご加護に気付くこと。
この世の生命、命を賜り、一つの調和、縁を結びて、互いが互いを、活かし、支える。
さなる宇宙の統一を、全き命の完成を、各々(おのおの)己の心に刻み、神の元へと集まれよ。
神から離れ、我欲に生きる、空しき生こそ、迷いの始まり。
神の元へと戻してやれよ。神とのご縁を結びてやれよ。
神とのご縁は奇(く)しき縁なれ、望めど望めぬ、尊きもの。なれど縁ある衆生なら必ず出会い、結ばれるもの。
神との縁こそ救いなり。縁なきものは救われ難し/
迷える御魂に神を示して、進む道のり、照らしてやれよ。縁ある者には神は明らか。迷いも覚めて、自(みずか)ら進まん。
身近に悩める人をこそ、先ずは導き、手を差し伸べよ。
明日(あす)にも縁は広がりて、神の救いも速くに届かん。
本日、御魂の救済、そのための導き方について解き示したり。これから後、御魂の救済はさらに必要を増しゆかん。
教えしことをよく考えて、己の中にて咀嚼(そしゃく)せよ。さにて
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100回和の会を終えて
事務局からのおしらせです。
2016年第3回の和の会は6月18日に開催されました。
100回を記念する6月例会には、過去最高の45名の皆々様が出席されました。
私たちは神様の恵みをどれほどか多く受けているのに、気づかないで生きている。これに気付くと些細なことがくだらないことだと思うようになるということを学びました。
また先生から、イチロー選手についてのお話がございました。
球友のジーター選手が「イチローは性格的に何も言わない選手だが、日本人としての誇りであるジャパニーズアイデンティティーを持っている」というお話もございました。
日本人ではなかなか気づかないことをアメリカ人が評価していることも学びました。
第3回の和の会は10月29日(土)です。次回は101回目の開催です。皆々様のご参加をお待ち申し上げます。
おつかれさまでした。