平成十七年(二〇〇五年)十月十八日 前世とは。また現世との関わりや生き方について
神から人へ、人から神へ。
教えの一つ、伝える意味を、生の要(かなめ)に、中心に据え、己の生を高めてゆけよ。
単なる知識や好奇心、すぐに忘れることばにあらず。
しかと己の御魂に入れよ。
さにて本日、そなたの問いに答を与えん。
前世は己の生を清算、新たな生を賜わるために、生の終わりに区切りをつけて
過去のあやまち、誤りを、気付き、認めて、神に詫び、
己の御魂の浄化を求め、神に許しを乞いて後、御魂は許され、来世に移らん。
なればこの世に犯せし罪も、次なる生に生まれし後には、宿世(すくせ)の縁は洗い流され、新たな縁を賜わらん。
過去の縁(えにし)は一代限り。そのたび新たな縁(えん)を結ばん。
親子の縁に、友の縁、師弟の縁も、皆(みな)初めから、結び直して、広がらん。
なれども神を介する縁は、生まれて変わり、死に変わり、輪廻(りんね)転生(てんしょう) 繰り返せども、必ず出会い、結ばれん。
永き年月(としつき)、幾(いく)星霜(せいそう)、この世に宇宙の創られて、数多(あまた)の生命、生体が、神の摂理に導かれ
宇宙の運行、自然の流転(るてん)、真理を行い、現わすために、
神の世界を実現せんと、祈りを込めて仕組まれし、壮大無窮(むきゅう)の天の命を、一つ一つの形に表わし、各々(おのおの)異なる役目を担(にな)わせ、
その遂行(すいこう)のため、完成のため、神の経綸、計画により、出会いし縁こそ神の縁。
さなる神縁、奇(く)しき縁なら、世代を重ね、年を経(へ)れども、神代(かみよ)の時よりつながる縁なり。
なれば人は、大切にせよ。神との縁にて出会いし人を。
前世の罪は前世に終われり。
前世の功(いさお)も同じこと。富も誉(ほま)れも名声も、一代のみに許さるる、儚(はかな)き夢なり、幻なり。
過去世に拘(こだわ)り、捉(とら)わるなかれ。
過去世の罪を恐るるなかれ。
今この時を、現世の生を、畏(かしこ)み、惜しみ、いとしみ、生きよ。
神と結ばれ、神に結ばれ、この世に神の縁を広げよ。
さなれば人は皆救われて、この世を生きる命(みこと)を見つけん。
この世の生に、誠を傾け、一日(ひとひ)一日(ひとひ)に命(いのち)を捧げよ。
さにて本日、前世と現世、神との縁、この世の生の生き方を、わかるに易しく教えたり。
己の生に、教えを活かせよ。さにて。
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要約
日頃はあまり考えない死というもの。
私も他人には、人は死んでもそれで終わりではないよ、魂は永遠だよ、と言えるのですが、もし自分の家族が死んだとき、果たしてその死を冷静に受け止められるか、耐えられるかというと全く自信はありません。
口では表しきれない悲しみ・寂しさに、毎晩毎晩気が狂いそうに苦しむのだろうなと想像すると、どうやって生きていけるのだろうと怖くなってきます。
でも、だからこそ、そのときのためにも、日頃から死というものを考えて、心の準備をしておく必要があると思います。
『なぜ人は生まれ、そして死ぬのか』(大門正幸著、宝島社)では、人間の過去生について具体例を挙げて検証しています。
人生の中で起きることには全て意味があること。
輪廻転生を繰り返しながら縁は続くこと。
大部分の人は生まれる前の約束どおりに生きていて、今のまま生きればいいこと。
いずれも今をよりよく生きる上で非常に重要なことばかりです。是非お読み頂き、そこから学んだことを、生活に生かして頂ければと思います。
ひふみともこ
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101回和の会を終えて
事務局からのおしらせです。
2016年第4回の和の会は10月29日に開催されました。
101回目の和の会でした。
第26回から100回まで皆勤で参加してまいりましたが、今回、個人的事情よりやむなく欠席させていただきました。皆々様には大変ご迷惑をおかけましたことを深くお詫び申し上げます。
ひふみ先生より当日の和の会の講義につきまして資料をいただきましたのでアップさせていただきました。
とても深い内容で何度も読み返してみました。少しではありますが自分なりに解釈できたような気がいたします。
次回の開催は12月10日(土)です。皆々様のご参加をお待ち申し上げます。
おつかれさまでした。