早馬神社社報「早馬山(平成24年9月19日号)より

   梶原忠利宮司さんの講話


 震災から一年半が経過しました。

ご家族・ご親族・御縁深い方々を亡くされた悲しみは一年半を経た今もなお大きく、亡くなられた方を思うお気持ちには切なるものがあろうかと思います。

九月十九日の例祭にあわせ震災復興祈願祭を執り行い、御霊の平安と地域の震災からの早期復興をただひたすらに乞祈奉りました。

 それぞれ一人ひとりに異なる被災があり、心の傷がどこにあるかも人によって違います。

ご家族を失った悲しみや、今なお不自由な生活を余儀なくされている方々の心中には想像したところで本人にしかわからないことがあるとは思いますが、少しずつ現実を受け入れつつ、全国から、家族から、周りの人から受けたさまざまな支援や手助けに感謝する気持ちを持ち続けながら、一歩ずつ歩いて行ってください。

 震災以降あらためて思うことは、一日無事暮らせたことに感謝をし、一日食事できたことに感謝し、一日懸命に働き、そして眠ること。

家族や仲間とともに暮らせることがどれほど幸せで豊かなことなのか。

当たり前と思っていたことがとても幸せで感謝すべきことなのだと痛感しました。

 台風、地震、津波の多い日本列島で、先人たちは、自然を敬い、畏れ、そして愛し、その人知を超えた大いなるものと共に生きてきました。

「生かされてもらっている」と感じる感謝の気持ちをもってきました。
生かされていることに感謝し、今を懸命に生きる。それが神道の心なのだと思います。

 神道の心の在り方を示す「清明心」という言葉は「浄く明く正しく直きまことの心」という意味で、自然の美しさに、この清明を感じ、人間も自然の一部であろうとする心をさします。

どれほど自然が猛威をふるっても、それでも感謝の気持ちを持つことができる心。それは自然と共に、海と共に長い間暮らしてきた人だからこそ持ち得る強さであり、まさしくしなやかさであり、浄く明き心なのではないでしょうか。

 この震災を機に、和を大事にする、感謝する。相手を思いやる。そうした日本人の心を取り戻すことが大切です。

一日一日を一生懸命に生きてやりのこしをしないこと。家族にも周りの人にも、そして食べ物にも感謝をすること。

そして、感謝の気持ちを伝えるべきことは伝えること。日々、家族や周りの人にも何かしてもらったら「ありがとう」と伝えることです。

 神道の心は、自然そのもののなかに潜む見えない力を畏れ、敬い、崇め、自然とともに、祖先とともに、人々と共に生きる「共生」の道です。

いかに復興していくか、これからをどう生きるか、そのヒントが、神道の心にある気がしております。