気仙沼の報告 その34

  平成28年10月1日

気仙沼の報告(平成2931012日)

 今回は310日(金)の夜から気仙沼に入りました。
11日は震災から6年目。追悼式典が各地で催されます。1112日の両日、震災から6年目であることを心にしっかり刻みつけながら、被災地の様子を見たいと思っています。


◎平成29310日(金)
 18時過ぎ、一関駅で岩手県職員S.Tさんに車に乗せてもらいます。気仙沼に向かって夜の道をひた走ります。いつもは気仙沼からの帰りに、夕景を眺めながら一関まで乗せて頂くので、今日は景色も違うし、ちょっと不思議な気持ちです。
 19時半、ホテルでチェックインした後、市内の居酒屋「ぴんぽん」さんへ。地元の人気店だそうです。
店の中はほぼ満席。入り口は狭いのに、店内に一歩入ると奥行きがあります。店の奥までお客さんがひしめいています。地元の方が多いのでしょう。店全体で盛り上がっている感じです。S.Tさんが予約をしていてくださったので入れましたが、そうでなければ入れなかったでしょう。
 刺身の盛り合わせには私の好きなアワビやホタテも。新鮮で歯ごたえがよく甘みもあります。
1品1品が大体400円前後です。
お店は熱気と活力に漲っています。
お客さんたちの屈託のない笑顔の裏には、様々な思いがあるのでしょう。
でも、今は今の時間を楽しむこと!
あれこれ余計なことに気を回してしまいがちな自分の背中を押されるような気がしました。



◎平成29311日(土)
 目が覚めると朝の太陽が部屋に射し込んでいました。
暖房を切っていても暑いくらいです。
真っ青な空を見ながら出発です。

●気仙沼市 早馬神社さん
 午前中に正式参拝をしました。
 時間的に余裕があるので、いつもより落ち着いて宮司さんたちとおしゃべりができました。
 話題は、これからの復興について。
 震災後の人口流出を心配されていました。
 震災後に漁業を廃業された方も多いそうです。
 日本全体に言えることですが、神社でも後継ぎがいなくて廃社するところもあるそうです。20年後には今の4割の神社がなくなるかもしれないというお話は衝撃的でした。
 
●舞根地区の高台移転
 唐桑町の舞根(もうね)地区は、牡蠣仙人といわれる畠山重篤さんの出身地区です。この地区では防潮堤建設に地区の人が全員で反対して建設を免れました。地区の方たちは高台移転されたそうです。
その移転先を見学してきました。
山を切り崩して平らにした海抜40メートルくらいの高台に、新築の家が立ち並んでいます。20軒ほどでしょうか。どれもおしゃれな家ばかり。東北の漁村というより、都会の新興住宅地のようです。唐桑の民家の特徴である、少し反り返ったような赤瓦の屋根と立派な破風造りの家は見当たりません。

●慰霊
 気仙沼市内3箇所((宿浦漁港、大沢漁港、松岩漁港)で慰霊をさせて頂きました。
 少々風は強く吹いていますが、海面はきらきら輝いています。
 こうして慰霊させていただけることに感謝しながらの慰霊です。 
   
●追悼式典
 午後は気仙沼市内の追悼式典に参加させて頂きました。
 ご遺族代表の男性のお話が胸に響きます。
震災の日。津波に巻き込まれながらも橋の欄干にしがみついて難を逃れ、一晩過ごす橋の上。
気仙沼市内で発生した火事や決壊した川の様子が地獄絵のように目に飛び込みます。
小雪もちらつき出しました。落ちている発泡スチロールを砕いて服の間に詰め込み、寒さと闘います。
襲い来る睡魔。
「お父さーん! お母さーん!・・・」
ご両親・奥様・子供たちの名前を、必死に叫び続けます。
それでもいつか眠りに落ちます。目が覚めたとき、頬にはうっすら雪が積もっていました。
“助かった!“
安堵したのも束の間。生きて再会できたのは息子さん1人だけでした。
“どんなことがあってもこの子を育て上げて見せる!” 
そう強く心に誓われます。
その息子さんも4月からは高校生。関東のほうに出て行かれるとか。
“幸せとは家族の会話にあった。”
 6年間の父としての思いが込められた言葉でした。

●高台住宅
 式典の後、近くの高台移転の住宅(市営牧沢住宅)を見に行きました。
 舞根地区の住宅とは異なり、ここの住宅は全て同じ企画の戸建てです。
 規則正しく整然と並ぶ、マッチ箱のように同じ形の家々。
 まるで兵舎が並んでいるみたい。
まだ誰も住んでいないので、カーテンのない窓から、家具も何もないガランとした家の中が見通せます。
 住宅地内の真っ直ぐな道路を、風が吹き抜けます。
ここに移り住んでくる人たちの悲しみも、思い出さえも吹き飛ばし、寄せ付けないかのようです。
それでもやがて、ここにも多くの家族が移り住み、それぞれに新たな思い出が積み重ねられていくのでしょう。

●慰霊
 夕方。
今日最後の慰霊をさせて頂きます。S.Tさんの従兄弟さんの住んでいらした家の近くでの慰霊です。
 S.Tさんの従兄弟さんも、お子さん3人とお父様(S.Tさんの叔父さん)を亡くされました。
 家から数10メートルのところで、4人を乗せた車が見つかったそうです。
 愛する子供3人と父親を一度に亡くされるという測り知れない悲しみ。
 従兄弟さんはこの3月、高台移転の住宅地に再建した家へ移られたそうです。
 新居には思い出の柱も持って行きました。
それは、子供たちの背比べの跡が記された柱です。



◎平成29312日(日)
 今日もすばらしい青空です。

●陸前高田市 O.Sさん宅
 市内で介護保険制度のケアマネージャーをしていらっしゃるO.Sさんのお宅へ。
 O.Sさんは、昨日はご主人様のお墓参りにご家族でいらしたそうです。
 昨年暮れ頃から体調を崩され、今は2週間に1度、盛岡市内の病院に通われているとのこと。
 ケアマネージャーのお仕事もある中、ゆっくり療養するのもままならないと思います。
 S.Tさんにだけは、本音で話すことができるのでしょう。
 家族にも話せない思いの丈を、S.Tさんにはぽつぽつと吐露されます。
少しずつ胸につかえていた思いも軽くなり、気持ちが楽になってこられたようです。
お暇(いとま)する頃には、顔色もよくなられたような気がします。
 暖かい春ももうすぐです。どうぞお体 お大切に。
 
●気仙沼市 階上(はしかみ)公民館
午後はK.Kさんのところに遊びに行きました。お弁当などを買ってきて、おしゃべりです。
3ヶ月に1度、ただ遊びに行くだけなのに、いつも温かいお心遣いありがとうございます。



今回も岩手県職員S.Tさんには、大変お世話になりました。
 
震災から丸6年。
被災地では、復興の名の下、嵩上げが進んでいます。
嵩上げに使われる土のために削られ、平らにされた山が、無残な土肌を露出しています。
海岸線の防潮堤も建設が進んでいて、海が見えなくなっている所もあります。
そんな中で目を引くのが、56階建ての真新しい災害公営住宅。荒野の中に立ち並びます。
山も川も海も 家も道路も、震災前とは全く異なる姿に変貌を遂げていきつつあります。
 
復興はどのような町を、この地に造り出していくのでしょう。
そこを故郷と思って懐かしむ人は、どれくらい残っているのでしょう。
思い出のよすがの消えた町。
戻っても、まぶたに残る自然も町並みもないその町を、故郷と思える人はどれくらいいるのでしょう。
 
故郷とは、昔のままにそこにあるもの。
幼い頃の思い出を、たちどころに蘇らせてくれるもの。
辛いとき悲しいとき、戻れば温かく迎え、包んでくれるもの。
それが故郷なのではないでしょうか。
 
5年後、10年後、震災の思い出を持たない新しい世代によって、新しい思い出が紡ぎ出されて、そこを故郷とする人たちが育っていくのでしょう・・・。