気仙沼の報告⑭ (平成25年5月26日)
●平成25年5月26日 8時39分 気仙沼着。
一関から気仙沼までをつなぐ大船渡線。
その車窓を 山藤やつつじ、あやめ、たんぽぽなどが 次か次へと飛び去っていきます。
田畑にも若い緑が萌え始めています。
急に華やかになった彩りに戸惑いました。
初めてこの大船渡線に乗ったのは昨年の10月。
毎月訪れるたび、秋から冬へと移る季節の変化を楽しんできました。
見慣れていたのは、茶色、灰色、黒に白・・・。それが突然、ピンクや紫、黄色に緑。魔法がかけられたかのような鮮やかさ。
寡黙だった大地も、さざめき笑い、そちこちでおしゃべりを始めているようです。
大船渡線沿線に、初めての春が広がります。
今回は石巻方面に慰霊に行きました。いつものように岩手県県職員S.Tさんの車で出発です。
石巻では4,000名近い方々が死亡又は行方不明となっていて、被災した市町村の中でも最も多くの被害が出ました。
◎石巻市 石巻総合運動公園 仮設住宅
広大な公園敷地内に、千数百世帯の仮設住宅があります。隣り合う家同士がひしめき合っています。
震災から2年以上経っても、まだ仮設を出られずにいる方たちの焦りや虚しさはどのようなものでしょうか。
そんな焦燥感・葛藤に耐えて、ここから毎日、職場に学校に、出かけていらっしゃるのですね。
早く、仮設から出られる日が来ることを祈らずにいられません。
◎女川町
石巻から女川に向かいます。
女川も津波の被害の大きかった町です。
中心市街地が壊滅し、900名近い方々が死亡又は行方不明となっています。
対人口比では8.5%以上と、被災した市町村の中でも最も高い値です。
小さい町ですが、そこには目を疑うような光景がありました。何と3階建てくらいの建物が、横倒しになっているのです。
そうした建物が、町の中に3棟くらい残されています。
土台の鉄筋がそのままひしゃげたように折れ、地面に接して見えないはずの床の裏のコンクリート部分がむき出しになって、壁のように地面の上にさらされています。
屋上も同様に、壁のように地面の上に立っています。建物の中の家具はそのままです。
流されてきた車が家の中に入り込んでいます。津波の引き潮の威力の大きさを見せつけられるような光景でした。
2か所で慰霊をさせて頂きました。
◎石巻市 門脇小学校
門脇小学校は、石巻市内でも最も内陸に位置します。
津波の時、児童たち約240人は裏の日和山(ひよりやま)に避難し、全員無事でした。
しかし、避難直後、火災が発生し、校舎にも火が移ります。残された校舎はガラスも割れ、2階や3階の教室の天井は焼け焦げています。児童たちが無事に避難できたことがせめてもの救いです。
門脇小学校の目の前にある慰霊碑のところで慰霊をさせて頂きました。
◎石巻市 日和(ひより)幼稚園
門脇小学校のすぐそばに日和幼稚園はありました。
地震の後、スクールバスで園児を帰宅させる途中津波にのまれ、園児5人が尊い命を落としました。
園児達、そしてそのご父兄の皆様のお気持ちは想像もできません。ただひたすら、魂が救われ、慰められることを祈るのみです。
◎気仙沼市 早馬神社
夕方、いつものように参拝に行かせて頂きました。心のほぐれる安らぎの時間です。
梶原忠利宮司さん、梶原壮市禰宜さんと短い間のおしゃべりを楽しみ、神社を後にしました。
宮司様は少しせき込んでいらっしゃいました。お疲れが溜まっていらっしゃるのではないでしょうか。
どうかご無理なさいませんように。
今回、石巻から女川に向かう途中、渡波(わたのは)という町を通りました。
そこは震災まで夫の実家のあった町です。
帰省する時には必ずタクシーで通った道を行きます。
見慣れた町並み、松林、お店の看板、学校跡・・・。お墓のあるお寺さんの近くを通りかかりました。
ここから100メートルも離れていないところが夫の実家だったところです。思わず車を止めてもらい、お墓参りをさせてもらいました。ご先祖さんたち、さぞびっくりしたことでしょう。
だいぶ日が長くなってきました。まだ半袖では少し寒いくらいですが、北国の春を感じた一日でした。
被災された方たちにも、早く本当の春が訪れて下さいますように。
今日も1日、S.Tさん、ありがとうございました。