気仙沼の報告 その21

  平成25年10月20日

●平成25年10月20日 8時39分 気仙沼着。
一ノ関から気仙沼までの1時間半。車窓からの景色は秋の深まりを告げています。田んぼの9割は稲刈りが終わり、サルビアは小雨に打たれて萎れ、代わりに黄色や赤紫の小菊が、駅の花壇や農家の庭を飾っています。野原では、女郎花(おみなえし)の黄色い花が今を盛りと 群れを成して咲いています。

今回は浜でのボランティアを予定していたのですが、前日夜9時近く、工場を休むとの連絡が入りました。
16日の台風で、牡蠣や帆立が大きな被害を受けたのです。
先月のボランティアで、種牡蠣の付いた帆立の殻をロープの合わせ目にねじ込んでいく作業をしました。その帆立の殻が、荒れ狂う潮の流れに揉まれて、3分の1近くが海の底に落ちてしまったそうです。
また、貝毒で出荷を見合わせていたために育ち過ぎた帆立貝も、重くなりすぎていたことで被害が大きくなったそうです。
出荷を目前にしての大打撃でした。
養殖業に携わっていらっしゃる皆様のお気持ちは、想像だにできません。
ただただ、祈るばかりです。

小雨模様の空の下、岩手県県職員S.Tさんの車で、南三陸町に向かいました。

◎南三陸町 
 南三陸町は、気仙沼から車で1時間くらい。人口約18000人の5%即ち900人近くの方が死亡・行方不明となり、中心市街地の家屋95%が流された町です。瓦礫は片づけられたものの、家の土台はそのままで、夏の間に伸びた雑草が生い茂っています。
 南三陸町での慰霊は3回目です。

◎南三陸町 防災対策庁舎
「津波が来ます。高台に避難して下さい」
繰り返し呼びかけ続けて亡くなった遠藤未希さんのいらした防災対策庁舎は、取り壊すことに決まったそうです。赤い鉄骨の3階建て建物に、大勢の方が慰霊に訪れていました。
関西から観光バスで来ていた一団(約30名くらい)が、慰霊所の前で記念写真を撮ろうとしていました。地元の男性が、それを制止します。
「地元の者だけど、記念写真は止めてください」
一団の観光バスの前には「M市人権擁護団体」と書いてありましたが、無神経にもほどがある行為ではないでしょうか。
花束をお供えし、黙祷させて頂きました。

◎南三陸町 慈恵園
高台にあった老人ホーム、慈恵園。ここでは、利用者67名のうち46名が亡くなられました。今では建物は完全に撤去されて、献花台だけが置かれています。お掃除したばかりなのでしょうか。花束は1つしかありませんでした。献花してから、「慰霊」「慰霊の言霊」を音読しました。

◎南三陸町から気仙沼市へ
 南三陸町から気仙沼市へ向かう途中、海辺の3か所(南三陸町志津川湾、南三陸町伊里前湾、気仙沼市小泉海岸です)で慰霊をさせて頂きました。
 最後の場所(気仙沼市小泉海岸)は 外海に面していて、波が荒く、冷たい風も吹きつけます。
震災当日、暗い沖合から、冷たい津波の壁が押し寄せて、道路も 線路も 橋脚も 全てを押し流し、家々や車を飲み込み、人々を海にさらっていったのでした。
波と風の音を聞きながら、慰霊をさせて頂きました。
海の底で未だに眠る多くの御魂に神様の光が当たり、天界に導かれていく様子を思い描きます。S.Tさんの読経と真言の間、1人、2人、3人、、、。お名前はわからないけれど、御魂を数えていきました。

◎気仙沼市 大谷(おおや)海岸 ラーメン屋さん
 大谷海岸は、震災前は、市内で一番海水浴客で賑わった海岸です。
 仙台と気仙沼を結んで海岸線を走っていた気仙沼線は、津波で流されて、不通のままです。今は、気仙沼線大谷海岸駅の跡地に物産店などが数軒あります。
その近くのラーメン屋さんに入りました。醤油ラーメンは 私の大好きな味でした。
ラーメンを頂きながら、ご主人や奥さんといろいろお話をしました。
震災前は 海の家でラーメン屋さんをやっていたこと、
震災後の平成23年10月23日に仮設のラーメン屋さんを開店したこと、
しばらくはボランティアの人たちで繁盛したが、今はかなり客足が落ちていること、
工事現場の人たちのためのお弁当も作っているけれど、コンビニ弁当との競争のために400円に価格を抑えざるを得ず、赤字であること、、、。
ご主人も奥さんも気さくで、何でも語ってくださいます。

壁に下げられたコルクの板に、ここを訪れた人たちの名刺が たくさんピンで貼られています。
その中に、新聞の切り抜きがありました。震災で19歳の娘さんを亡くされた母親の記事でした。娘さんは、お嫁入りの直前だったそうです。
母親の横顔のお写真が、奥さんに似ています。
お尋ねすると、奥さんその人でした。
何も言えなくなってしまいました。

お勘定を済ませて、ほんの僅かですが、募金箱(ビン)にお金を寄付させて頂きました。
「頑張ってくださいね。おいしかったです」
それだけ言うのが やっとでした。
店を出ようとすると、ご主人が、売り物のリンゴの袋詰め(10個くらい入って500円です)を持たせて下さいました。
すみません!
ありがとうございます!
必ず、必ず また来ますね!! 

◎気仙沼市 階上(はしかみ)公民館 元船乗りのKさん
 午後1時半、階上公民館で守衛をされている、元船乗りKさん(77,8歳)のところに、遊びに行きました。
 台風の時は、夜中の2時に公民館の屋根に上り、ブルーシートをかけ、雨漏り対策のために2階の部屋に樽を置いたりしたとのこと。
 Kさんが公民館の守衛さんになられた時、事務室の床は真っ黒だったそうです。その床を、Kさんが、事務職員の出勤前に、段ボールを床に敷いて膝をつき、毎日少しずつ磨いて今のように真っ白にされたとか。
 調理室も、ガス回りなどはとても汚かったのを、人のいないときに掃除して きれいになさったのだそうです
 「船乗りはきれい好きなんだよ。汚いと、船の上では病気になっちゃうからね」
備品の包丁も全部研(と)がれたとか。
「包丁は手で研ぐんじゃないよ。腰で研ぐんだ」
家電製品(冷蔵庫、扇風機など)は愚か、自動車までもご自分で修理なさるそうです。船に乗っていると何でもできないとだめなんですね。通信技術だけでなく、電気製品や車の修理、調理、掃除、整理整頓・・・。
ともかく Kさんは働き者。
公民館の庭で 1人で畑作りをされています。できた作物は、ご自分のは1つだけ取って、後は皆、職員や近所の人たちに配ってしまうそうです。
近いうちに、幼稚園の園児たちが芋掘りに来るそうです。昨年は、園児たちが、ボール紙に金の折り紙を貼って作った「金メダル」を「Kさん、ありがとう」と言って首にかけてくれたそうです。Kさんの顔がほころびます。
Kさんのお話はいつでも楽しく、また学ばされることの多いお話です。
「働く」=「傍(はた)を楽(らく)にすること」
この言葉がまさにぴったりです。
2時間くらいおしゃべりをしました。
途中、ボランティアの人が、Kさんにお寿司などを届けに来ました。
結局、それらも「持って行け」と私たちに下さいました。
人気者のKさん。来月も遊びに来ますね。

◎早馬神社
 午後4時ごろ、早馬神社さんへ。梶原忠利宮司さんと息子の梶原壮市禰宜さんが迎えてくださいます。
 10月17日19時30分から、BSで放映された「きらり!えんたび 天童よしみ 宮城・気仙沼市へ」に宮司さんが出演されました。そのときの天童よしみさんとの裏話に、S.Tさんも私も大笑いをしてしまいました。
宮司さんは本当にお茶目です。
隣で禰宜さんが渋い顔で聞いていらっしゃいます。禰宜さんは宮司さんが脱線し過ぎないように監視役。ときにそっとたしなめられる場面も・・・。
お二人のお性格が対照的で、それがまたいい味を出していて、とても素敵です。
でも、台風の被害のことに話が及ぶと、宮司さんのお顔もたちまち曇ります。
お二人とも、とても心を痛めていらっしゃるのが伝わってきます。
 どんなに楽しい話をして笑っていらしても、その後に見せられる憂い顔。
 心の底から晴れやかな笑顔になられるのは、いつなのでしょうか。

 午後5時。すっかり日が短くなって、外は真っ暗です。
 雨も強くなってきました。

 初めて気仙沼を訪れてから丸1年。
2年目の始まりである今回の気仙沼。2年目はさらに進化させていきたく思います。
 
 今回も考えさせられる1日でした。
 S.Tさん、ありがとうございました。