気仙沼の報告 その12

  平成25年3月11日

●平成25年3月11日 8時39分 気仙沼着。
 今日は震災からちょうど2年目に当たります。
しっかりと心をこめて慰霊させて頂きたいと思いながら、気仙沼の駅に降り立ちました。天気はいいけれど、気温は低めです。
今日も風が強く吹き付けます。

◎旧月立小学校
最初に、気仙沼市塚沢の旧月立小学校に伺いました。
かなり山奥にあります。校舎は大正時代(1922年)に建造され、登録有形文化財に指定されています。

いかにも昔の小学校といったほのぼのとした建物が、何とも懐かしく、いとしくなるような佇(たたず)まいです。
この旧小学校には、津波で流された写真などが保管されています。
玄関右の元教室に一歩入ると、所狭しと2列に並んだ本棚に、写真を修めたミニアルバムがぎっしりと、収集された地区ごとに分類されています。
窓際および壁際には、成人式や結婚式などの大きな写真も展示されています。
これまでに100万枚もの写真が洗浄され、50万枚は返還されました。
しかし、海水が染み込んだ写真は、一度の洗浄では十分きれいにならず、破棄された物もあるそうです。現在30万枚が、引き取り手の現われるのを待っています。
晴れ着姿でにっこりほほ笑むお嬢さん、
希望と喜びに輝く仲睦まじそうな新婚さん、
家族旅行でしょうか、楽しげにVサインする方たち、、、。
ここに写っている方たちは、今どこにいらっしゃるのでしょうか。
写した人も、写した時も、写した場所も、写っている人も、持ち主も、何も分からない30万枚の写真たち。
思い出の写真を探しに来られる方も、今はずいぶん少なくなりました。

 写真の他にも、位牌、賞状、学校の工作などの作品、そして、へその緒までも保管されています。
 これほどの膨大な数の写真や位牌などを、あの瓦礫の撤去作業中に、懸命に拾い集め、丁寧に洗浄し、大切に保管してくださった方たちがいらっしゃるということに、強い衝撃を受けました。
洗浄作業には推定3000人以上の方たちが関わられたそうです。
 ・・・他国では絶対にあり得ないことです・・・。
 作業に関わられた全ての方たちに、感謝と尊敬の念を抱かずにはいられません。

◎津波体験館
 午前10時過ぎに唐桑町の津波体験館へ。
津波体験館に着いたちょうどその時、なんと「唐桑町」を取材した番組が始まるとのこと。
事務所の奥で館長の小松勇次さんや職員さんと一緒にテレビを見させて頂きました。
番組には、館長の小松さん(目の前のテレビ画面の中にいる人が、今隣で一緒にテレビを見ている人と同じ人物だというのも、ちょっと不思議な気分でした)や、早馬神社の梶原忠利宮司さんも登場します。
また、震災後、大漁旗を使った袋やペンケースなどを作っている「COCO(ココ)唐(から)」の方たちも取材されていました。
それぞれの立場からの震災への思いをまとめた、心温まるいい番組でした。

テレビ視聴の後、津波体験館のお土産売り場で「COCO唐」の小物類を見つけました。
手提げ袋やペンケースなどを購入しました。とても丁寧に作られています。色彩も鮮やかです。作られた方の、作品を慈しむお気持ちが、手に取るように伝わってきます。とても気に入りました!
その後、津波の体験をさせて頂きました。座席は震度3程度の揺れを再現し、目の前のスクリーンいっぱいに波が押し寄せてきます。冷たい風も吹いてきます。津波の怖さを想像するに十分な迫力でした。

◎地福寺
 唐桑町内の地福寺に最近建立されたお地蔵様のところで慰霊をさせて頂きました。
町内で亡くなられた61名のお名前が慰霊碑に刻まれています。
一人ひとりのお名前を見ていると、確かに現実に、この方たちが、この地に生きていらした証を突き付けられるようです。
 震災から2年経ちます。どうか安らかにお休みください。

◎追悼式
 午後、「気仙沼市東日本大震災追悼式」に参列させて頂きました。
会場の気仙沼市総合体育館は、小高い山の中腹にあります。この体育館も震災当時、大勢の方が避難されたところです。
 午後1時半ごろ会場に入ります。喪服の方たちに交じって、米海兵隊の制服姿の方も少なからずお見かけしました。
 壇上には、何千本もの白菊がライトを浴びて、神々しいまでに輝いています。
真っ白に輝く白菊たち・・・。犠牲になられた方たちの御魂が、そこにあるようです。
悲しみや無念、家族への想いを昇華したかのように、凛と咲く白菊たち・・・。
生きている私たちに勇気を与えようと、一生懸命に励まして下さっているのでしょうか。

 開会を待つ1時間。
会場は荘重な雰囲気に包まれています。ご遺族たちの様々な思いで、痛いほどに空気が張り詰めています。声を発することさえ憚(はばか)られます。
午後2時30分の開会の後、気仙沼高等学校吹奏楽部の生徒さん達の献奏が行われました。
「パッヘルべルのカノン」
「祈り~涙の軌道」
「G線上のアリア」

厳(おごそ)かな音色が、悲しみを浄化してくれるようです。
会場前方のモニターに、政府主催追悼式が映し出されます。政府主催の追悼式に合わせて、黙祷を捧げました。
そして、内閣総理大臣式辞、天皇陛下のおことばと続きます。
 その後、
気仙沼市市長 菅原茂氏 式辞
宮城県知事 村井嘉浩氏 追悼の辞 
気仙沼市議会議長 臼井真人氏 追悼の辞
が述べられました。いずれも魂の奥深くに響く、誠のこもった式辞及び追悼の辞でした。

 次に、ご遺族代表お二人の方のお言葉です。お一人はご家族6名を亡くされ、もうお一人はご主人を亡くされました。
会場は静まり返り、お二人の話に聞き入っています。
泣いている方は殆どいらっしゃいません。
涙さえ流せないほどの深い深い悲しみが、会場内に満ちています。

同じように凄絶な体験を共有されている参列者の皆様が、一丸となって、必死の思いで、悲しみに耐えていることを改めて強く感じさせられました。
 ご遺族代表のお言葉の後、代表者の献花、そして参列者の献花が行われて、閉会となりました。
 厳粛な気持ちで会場を後にします。
尊い時を過ごさせて頂きました。

今回も、緻密な予定を組んで、滞りなくご案内して下さったS.Tさん、本当にありがとうございました。
2日間とは思えないくらい、いろいろな経験をさせて頂きました。
ことばにできない想いで、今はいっぱいです。
この想いを大切にしまって、来月も気仙沼に参りますね。
よろしくお願い致します。