気仙沼の報告⑥ (平成24年12月21日)
3回目の気仙沼訪問です。
今回は、京都府亀岡市I大神宮宮司Iさんと、京都の「ひふみのつどい」でお世話になっているKさんもご一緒です。
●平成24年12月21日 13時40分 気仙沼着。
Iさん・Kさんと9時半過ぎに東京駅で合流。Iさん・Kさんは今朝7時過ぎの新幹線で京都からいらっしゃって多少お疲れのご様子。
13時40分、気仙沼の駅に降り立ってみると、思ったより寒くありません。曇り空ですが、風もないためか東京の真冬ほども寒くないので、少々拍子抜けしました。
いつもどおり、岩手県県職員のSさんが迎えにいらして下さっています。これから夕方までの4時間ほどですが、被災地の様子を案内して頂いてから早馬神社に参拝に行く予定です。
時間があまりないのと寒いのとで、車から下りないまま被災地の様子を見せてもらいます。
今は何とか復興して活動を始めた魚市場と、その近辺の国及び県の合同庁舎などを回りました。
国及び県の合同庁舎共に、3階付近まで窓には新しいガラスが入っています。
その辺まで津波が来て割れたために、新しいガラスを嵌めたのでしょう。
屋上に逃げた人たちは助かったけれど、助からなかった方たちも大勢いらしたそうです。
近くにある水族館(リアスシャークミュージアム)も、1階部分はすっぽりなくて、鉄骨がむき出しになっています。
次に、震災当日、津波の様子を撮影していた場所に移動して、津波のDVDを見せてもらいました。
まさにここで津波があったというその場所で、周りの景色と重ね合わせてDVDの津波を見ていると、その破壊力に圧倒されて言葉が出ません。
震災のあの日、この場所で、固唾を呑んで、呆然と津波を見ていらした方たちがいる。
その気持ちを少しでも感じたい…。そんなことを思うのは不謹慎でしょうか。
その後、気仙沼の仮設商店街を通り、岸から700メートルも流されて打ち上げられた300トンの漁船に車の中から手を合わせました。
未だに家々の土台だけが広がる気仙沼市内の様子は、瓦礫が片付けられたというだけで、復興とは程遠い状況です。
早馬神社に向かう途中の唐桑の内湾で、他の家々は津波で流されたにもかかわらず、津波を免れた小さなお社を拝見しました。
高さ2.5メートルくらい、縦横も2メートル四方くらいの、木でできた本当に小さなお社です。
コンクリート作りの鳥居の上の部分さえ残っていないのに、何故お社は残っているのか…。本当に不思議な光景です。
午後3時半過ぎ、早馬神社へ到着。
正式参拝の後、梶原忠利宮司さんと梶原壮市禰宜さんに震災当日の様子とその後の復興についてお話をして頂きました。
いつもながら、宮司さんと禰宜さんのお話は胸に迫ります。
今回I大神宮宮司Iさんをお誘いしたのは、早馬神社の宮司さん・禰宜さんにお引き合わせしたかったからです。
神社同士の絆が強まれば、きっと見えない世界での復興も早まるのではないか。
そんな期待をしています。
冬至で午後5時過ぎには真っ暗になった気仙沼を後にして、一ノ関へ。今回も1日、お付き合いくださったSさん、本当にありがとうございました。
来年2月から毎月、気仙沼市の仮設の方たちとの交流会を開いていく予定です。
その準備と打ち合わせ、そして自分自身の心構えのために、気仙沼に足を運んで被災状況を見聞し、空気を吸い、人々に接し、震災に思いを馳せ、少しでもその気持ちを共有したいと思っています。
自分のしようとしていることに本当に意味があるのか。
いつも胸の奥にある疑問の答を探しながら、来月も気仙沼を訪れます。
Sさん、よろしくお願いします。