気仙沼の報告 その34

  平成28年10月1日

気仙沼の報告(平成281012日)

◎平成28101日(土)
 4ヶ月ぶりの気仙沼。今回は夫とワンコ2匹で参りました。この2週間ほどずっと雨模様だったので、秋晴れの空はことのほか高く爽やかに感じます。
 
●気仙沼市 階上(はしかみ)公民館
 930分、階上公民館へ。管理人のK.Kさんが迎えてくださいます。
 秋は文化的な行事が多いせいでしょうか、公民館の利用者もいつもより多いようです。K.Kさんも、しょっちゅう席を立ちます。
 今回はK.Kさんが若かりし頃、神宮球場で野球をしたことがあることをお聞きしました。
小学校4年生のときから3年ほど東京に丁稚奉公に出たそうです。他にも何回か東京に働きに出たそうですが、当時の町の名前、路地の名前、駅の名前、人の名前。まるでつい最近まで何十年も住んでいたかのように細かく覚えていらっしゃいます。いつものことながら、記憶力のよさには舌を巻きます。
辛かったことや楽しかったことを話すとき、遥か遠くを見晴るかすようなK.Kさんの目を見ているのが大好きです。

●慰霊
 気仙沼市内2箇所(旭崎、大谷海岸)で慰霊をさせて頂きました。
 秋晴れの元、津波が襲ったことが嘘のような穏やかな海です。
 


◎平成28102日(日)   
●気仙沼市 早馬神社さん
 早馬神社の例大祭の日。今日も空は真っ青に晴れ渡っています。
 四年前、初めて気仙沼に訪れたのが、この例大祭の日でした。震災から1年半経っていましたが、神社の周りは津波で流された家々の土台が雑草の陰に見え隠れしていたのを思い出します。
 今回、神社は新しい参道が整備されていました。周辺の駐車場は満杯です。鳥居の下を続々と参拝者が集ってきます。参道に並ぶ屋台の客引きの声も賑やかに飛び交います。境内では神輿と担ぎ手たちが、出発のときを今か今かと勇んで待っています。
 神楽殿の前では打囃子の太鼓の列が4列ほど。太鼓を打つのは、幼稚園児から中学生の生徒さんなど20人くらいでしょうか。
最前列の幼稚園の子供たちのかわいいこと!
後列の小中学生の少年少女の凛々しいこと!
息の合ったお囃子が、祭りの気分を盛り上げてくれます
 勇壮な打囃子に送られて神輿が出発。早馬山の麓まで町を練り歩きます。町といっても、津波で流されたところに家が再建されたわけではないので、300メートルくらいは雑草で覆われた空き地を両側に見ながら道を進みます。早馬山麓と、仮設住宅及び漁協の前の2箇所でご祈祷しました。
 神社に戻ったら、いよいよ海上神輿渡御です。宮司さん始め、神輿の担ぎ手一同、漁船に乗って唐桑半島を回ります。途中2箇所で下船し、ご祈祷を行います。
4年前、海上渡御に参加した漁船は6艘でした。今回は13艘です。震災前は30艘だったことを思うと、まだまだ寂しい渡御ではありますが、それでも漁船に乗り込む漁師さんたちの顔は晴れやかです。
 お神輿と宮司さんを乗せた漁船を先頭に、13艘の漁船が大漁旗を翻して、颯爽と沖に滑り出します。船上では演歌を大音声で流し、ビールや日本酒で大宴会。一心にご祈祷されている宮司さんを尻目にこんなに賑やかに騒いでいいのかなと気になります。
でもそこは宮司さんと漁師さんとの絆の強さ。宮司さんも漁師さんも、共に今日の幸いを喜び合っているのでしょう。私も漁師さんに誘われて、浮き浮き宴会に参加させてもらいました。取れたてのホヤもご馳走さまでした!
満面の笑みの漁師さんたち。引退された漁師さんも多いようです。若い頃は遠洋漁業の連続。1年半も家を空けていると、乳飲み子だった赤ちゃんも歩いたり話したりできるようになっています。「お父さん」ではなく「おじさん」と言われたそうです。
 茨城から来たと言うと、「唐桑はいいところだろう?」と誇らしげに顔がほころびます。
 お日様の眩い(まばゆい)日差しの中、海風に飛ばされないように缶ビールだけはしっかり手で押さえながらおしゃべりしていると、私も漁師さんたちの仲間にしてもらった気分です。

 漁師さんたちの笑顔は最高でした。
苦労の連続の半生。その晩年に襲ってきたあの大震災・・・。命の次に大切な漁船を失った漁師さんも少なくありません。想像もつかない悲しみや辛さだったことでしょう。
そんな苦労や悲しみ・辛さなど吹っ切るように、今この瞬間の生を祝う。
「いつまでも悲しんだり嘆いてなんかいられるか!」
そんな心の叫びが聞こえてくるようです。
 長年の風雪を耐え抜いた漁師さんたちの明るく輝く眩しい笑顔を、いつまでも胸に刻んでおきますね。
 
 

今回も岩手県職員S.Tさんには、夫とワンコ共々大変お世話になりました。
夕飯時にはいろいろ深いお話もできました。話すことで思いは共有され、共有することで、思いはさらに深くなっていきます。

本当にありがとうございました。