気仙沼の報告 その27

  平成26年9月21日

●平成26年9月21日 
2か月ぶりの気仙沼です。空は真っ青で、秋の爽やかな空気と日差しが肌に心地よく感じられます。今日は午前中は気仙沼の階上公民館、午後は慰霊を予定しています。


●気仙沼市 階上(はしかみ)公民館
 階上公民館へ、館の管理人で元船乗りのK.Kさんにお会いしに来ました。K.Kさんの体験談に表われているK.Kさんの生き方が非常に勉強になるからです。K.Kさんは78歳。お父様は近衛兵(このえへい)として昭和天皇にお仕えされていましたが、戦時中に艦砲射撃を受けて、K.Kさんが幼いころに亡くなられます。お父様を亡くされてからは、丁稚奉公(でっちぼうこう)や靴磨き、映画館の看板描きなどを経て、無線通信士となり、世界中を遠洋漁業で回ってこられました。
丁稚奉公時代は屋根裏に藁(わら)を敷いた上で寝かされたそうです。藁は硬く体にチクチクします。棒で叩いて柔らかくし、それに和傘の紙を巻いて布団代わりにされたそうです。靴磨きをしていて顎(あご)を蹴られたこともあったそうです。船乗りの仕事は重労働を遥かに越えた過酷な労働です。その中で、辛いことや悲しいことにくじけることなく、心を荒(すさ)ませることもなく、明るく優しく生きてこられたことがよくわかります。
 お昼ご飯をご馳走になってお暇(いとま)しました。ありがとうございました。また来ます。若輩者ですが、これからもよろしくお願いいたします。
心の中で手を合わさずにいられませんでした。


●気仙沼市 慰霊
 今回は海沿いの3か所、①岩井崎、②片浜地区海岸、③商工岸壁で慰霊をさせて頂きました。
真っ青な海と空。海面はまばゆくキラキラ輝きます。
 空気がきれいなので日差しが背中にじりじり痛いほどです。
 3か所のうちの1か所は、S.Tさんの従兄さんが津波で犠牲になられた場所です。奥様と3人のお子さんを残されての死です。さぞ無念だったことでしょう。
どうか安らかにお眠りください。 
そして私たちを見守っていてください。


●気仙沼市 街の復興
震災から3年半の月日が経ちます。街には嵩(かさ)上げ途中の土の山が幾つも見られます。
 気仙沼の震災の象徴だった共徳丸が撤去されたり、新しい大型店が営業を開始したりしてきために、仮設商店街への客足もかなり落ちてきたそうです。仮設商店街で働く人たちや仮設住宅に住む人たちを取り残しながら、復興は静かに進んでいっています。


●気仙沼市 早馬神社
 最後は早馬神社さんです。まだ午後3時なのに、太陽は早くも傾きかけて斜めから日が差し込みます。風は少しヒンヤリして肌寒くさえ感じられます。
9月19日が例大祭、10月5日が大祭の日ということで、梶原忠利宮司さんと息子の梶原壮市禰宜さんは少しお疲れのようでした。気のせいかな?
 神社が最も大変なのは12月から2月にかけてだそうです。これからますますお忙しくなる一方ですね。どうかお体にお気をつけてお過ごしください。




早馬神社さんから一ノ関に向かいます。
黄金色に実った稲が広がっていました。既に刈り取られて干されているものも見られます。


今回は久々に心を込めてゆっくり慰霊をさせて頂きました。
いつものことながら、岩手県県職員のS.Tさん、ありがとうございました。