気仙沼の報告 その8

  平成25年1月14日

●平成25年1月14日 8時39分 気仙沼着。
 今日は午後から雪が降るとの予報です。寒さはそれほどでもありませんが、事故に注意しないと。

【岩手県 大船渡市】
 ◎特別養護老人ホームさんりくの園
気仙沼から大船渡まで車で40分くらいの道中は、雪で視界も悪くなっています。
さんりくの園についたときには5センチくらい積もっていました。
さんりくの園では、利用者67人のうち54人、職員の方も1人犠牲になられています。
S.Tさんは震災前からこの施設の方とお付き合いがあったそうです。建物は取り壊している最中でした。
奥の方では大きな起重機(?)が建物のコンクリートなどを積み上げています。
ここで慰霊ができるのも最後かもしれないとのことで、心をこめて慰霊させて頂きました。

 その後、S.Tさんの職場の建物を見せてもらいました。
震災後仕事が膨大になり、他府県から支援の方が大勢来られて、別の建物を新設し、そこで作業されているそうです。
陸前高田市に向かう途中、高校生でしょうか。マラソンランナーが大勢すれ違いました。
何か大会でもあるのでしょうか。沿道には応援する人たちが並んでいます。
雪が降る中、皆さん、頑張ってください。

大船渡漁港もようやく復興し始めたそうです。震災前はもっとたくさんの漁船が停泊していたのでしょうね。町にももっとたくさんのお店や家があったのでしょうね。今では信号機が立っているだけです。

【岩手県 陸前高田市】
 ◎特別養護老人ホーム高寿園
11時、陸前高田市にある特別養護老人ホーム高寿園にお邪魔します。
休日にもかかわらず園長さんが会って下さいました。園長さんは園から5分くらいの仮設住宅にお住まいだそうです。
 被災状況などの資料をくださいました。
職員163人のうち10人、役員43人のうち9人、職員のご家族33人が亡くなっています。
住宅については全半壊となった方、103人です。

 地震直後、普段は120人在所する施設に最高で900人もの方が避難されてきたそうです。
廊下も事務室も足の踏み場もないほどの人たちで溢れ返りました。

地震の翌日、自宅を見に行くために高台を下りていくと、そこには見たことのない山ができています。
瓦礫です。その瓦礫の山の上を歩いて、普段なら5分くらいで行ける自宅に行くのに1時間くらいかかりました。自宅は元は何であったかわからない瓦礫と泥で埋まっています。

幸い高寿園の施設は高台にあるので津波の被害はありませんでしたが、電気・水道・ガスが止まり、900人分の食事を、備蓄してあった400食程の食糧でしのいだそうです。
ともかく3日間乗り切れば支援物資が届くのではないか、と職員の方たちが工夫されてこの危機を乗り越えられました。
また施設はオール電化なので電気が止まると電灯も暖房も使えません。夜はろうそくの灯りだけで、毛布がないのでカーテンを割いて毛布代わりにされたそうです。
施設には毎日、夜と言わず昼と言わず、家族を探しに大勢の人が訪れました。
玄関先の避難者名簿を必死に探す方々。
メッセージを残していかれる方々。
無事なのか? 
今どこにいるのか? 
自分は無事だと知らせたい! 
離れ離れになり安否のわからなくなっている家族を案じる気持ちは、いかばかりであったか。想像するだけで胸がつぶれるようです。

 ◎市庁舎跡・市民会館
 市庁舎では市職員の3分の1に当たる110人前後が亡くなったり行方不明になったりしました。
ここも、取り壊すことが決定したそうです。今回が最後の慰霊になるかもしれません。
お花もたくさんお供えしてあります。お花を入れてあるバケツの水はカチンカチンに凍っていました。
 市庁舎の周辺にあるショッピング・センターや郵便局などの大きい建物は、津波で壊れたままの状態で残っています。分別された瓦礫の山に雪が降り積もっていきます。

その後、10月にお邪魔したO.Fさん宅にお邪魔しました。
仮設の方たちによる共同農園「はまらっせん農園」を開かれ、野菜などを栽培し、昨年11月22日には東京駅で即売されたそうです。
Oさんは12月にご主人を亡くされました。そのお話をされるときには、気丈なOさんも涙を見せられました。お話を伺いながら、何の言葉も出ませんでした。ただうなずきながら お話を聞くだけでした。

午後3時半ごろ、雪の降る中、一ノ関に向かいました。道の両脇に続く木々の枝に、積もり始めた雪がレースのようにきれいでした。

2日間、南三陸町、石巻市、大船渡市、陸前高田市と、それぞれの地で慰霊が出来ましたこと、心から感謝申し上げます。ありがとうございました。
S.Tさん、今回も2日間、休日返上ですみませんでした。心のこもった慰霊ができたと思います。ありがとうございました。