気仙沼の報告 その19

  平成25年9月22日

●平成25年9月22日 8時39分 気仙沼着。
一ノ関と気仙沼を結ぶ大船渡線の車窓は、四季の移り変わりを如実に感じさせてくれます。
朝日を受けて黄金色に輝く稲穂、稲木に干されている稲、ススキ、コスモス、トンボの群れ・・・。その一方で色鮮やかな朝顔やサルビアなども車窓を飛び過ぎていきます。車中で過ごす1時間半は、自然に癒されるひと時です。
今回は、浜でのボランティアや、今までお邪魔した方たちとの再会を盛り込んでいます。いつもどおり、岩手県県職員S.Tさんの車で出発です。

◎気仙沼市 畠山正則氏の養殖場でのボランティア
 9時半、唐桑の養殖場に到着。気仙沼市唐桑地区復興支援共同体の代表 畠山正則氏のところは2回目ですが、畠山正則氏本人にお会いするのは初めてです。
着いた早々、私の足元を見て、
「靴、それしかないの?」
「はあ」
「ちょっとここで待ってて」。
苦々しげに顔をしかめつつ、ピンク色のかわいい長靴を持ってきてくださいました。
私の履いていったのは、ヒール3センチくらいのサンダルで、濡れてもいいような物だったのですが、確かに浜でのボランティアをする履物ではありませんね・・・。服装も、上は紺と白のボーダー柄のサマーセーター、下はオレンジのサブリナパンツ。どう見ても、町に遊びに行くような軽装です。畠山さんが呆れたような目で見るのも無理はありません。心の中で 反省!

それはさておき、今日の作業は、牡蠣の種付け(?)です。救命胴着を着けて、小さな漁船で筏まで移動。畠山さんが筏から帆立貝の殻がビッシリついた60センチくらいの房を次々6本くらい引き揚げるのを、好奇心いっぱいで見守ります。帆立貝の殻には種牡蠣と、海鞘(ホヤ)の一種という半透明の寒天みたいなぶよぶよした生物がたくさんくっついています。この海鞘は種牡蠣にとって天敵なのだとか。

引き上げ終わると、船はまた岸に戻ります。私たちが着いていく意味は全くなかったのですが、畠山さんのサービス精神で、我々を漁船に乗せてくださったのでしょう。
漁船で引き揚げた帆立貝の房を陸に上げて(陸に上げるときも、ただぼーっと見ているだけでしたが)、作業の説明を受けました。ビニール製のロープの網目を緩めて隙間を作り、そこに種牡蠣の付いた帆立貝の殻を挟み込むという作業です。それをロープの先端から終わりまで、30センチおきぐらいに続けます。
軍手を付けていても、帆立貝の殻の砕けたかけらが刺さって、結構痛いです。前回より難しい作業です。種牡蠣の付いた帆立貝の殻がロープから滑り落ちないか気がかりです。

途中の休憩を挟んで、ロープに4,5本分くらいはできたでしょうか。本当に微々たるお手伝いしかできていません。筏にはまだたくさん竿が渡してあり、その竿に種牡蠣の房がまだまだたくさんぶら下がっています。私たちができたのは、1本の竿から引き揚げた6房くらいの、さらのその一部・・・。
養殖業って全て手作業なんだ~と改めて実感。1年中、仕事が絶えることはないそうです。暑い時も寒い時も。厳寒の浜で、立ちっぱなしの仕事を毎日する辛さは想像すらできません。

帆立貝出荷時期には深夜1時に起きて明け方の出荷に間に合うように準備をするそうです。聞いただけでも辛そうで、言葉が出ません。
おまけに今年の夏は貝毒が発生して出荷を自粛している最中だそうです。まさに泣き面に蜂。貝毒は帆立のワタに溜まるから、ワタを食べなければ全く問題ないのです。でも一度そういう噂が立てば、消費者は過剰に反応します。3週連続で検査をパスすれば出荷できるのですが、畠山さんは念には念を入れて4回検査を受けるそうです。でも、その間にも牡蠣はどんどん成長して、一番出荷しやすいMサイズではなく、Lサイズ、LLサイズに成長してしまいます。今すぐにでも出荷したい逸る(はやる)思いを抑える日々。漁師さんには幾つもの困難があるんですね。素人には全く想像できない苦難です。

12時半ごろまで作業をしましたが、引き上げた帆立貝の房は半分以上残っています。
私たちの作業がどれくらい役に立ったのか・・・。
こんなことでは単なる「社会見学」です。
もっと大勢でボランティアに来られるといいのに。そうすれば人海戦術で少しはお役にたてるのに。

◎気仙沼市 船乗りのKさん
 昼食後、8月に階上(はしかみ)公民館でお会いした船乗りのKさんに会いに行きます。気楽におしゃべりできればいいなと思って事務室に立ち寄りました。Kさんはわざわざ炊き込みご飯のおむすびを2つ、作って来てくださっていました。ご自分で炊いて握ってくださったとか。
味付けもよくておいしかったです。ご馳走様でした。
 Kさんは、公民館の裏で畑を作っているそうです。体を動かすのが大好きなんですね。根っからの働き者なんだなー。80歳近いのに、身ごなしの軽いこと。
船に乗って航海していた時のお話など、話題が尽きることはありません。辛い体験もたくさんされたはずなのに、まるで他人事みたいにケロッと話されます。
 結局2時間くらいお邪魔しちゃいました。帰りがけには、「持って行け」とお菓子などをたくさん持たせてくださいました。ただお話を聞きに行っただけなのに、かえって気を遣わせてしまったかな。ありがとうございました。

◎気仙沼市 早馬神社
 夕方、早馬神社さんに参拝します。宮司さんはお留守でした。禰宜さんとお話をします。さすがに夕方は涼しくて、秋の深まりを感じさせられたことでした。

◎気仙沼市 仮設商店街
 夕飯は仮設商店街の「一福」さんへ。おしゃべり好きのご主人が迎えてくださいました。
仮設商店街開店までの苦労話などを、冗談を交えて楽しく話されるので、ついつい笑って聞いてしまいます。
働いていることが元気の源だと仰っていました。
旬の鰹の煮物や海老の塩焼きなどをおいしく頂きました。
また来ますね。あまりお酒を飲み過ぎないで、お元気で。

気仙沼駅前のホテルには夜9時ごろ帰りました。お疲れ様でした。