気仙沼の報告 その7

  平成25年1月13日

4回目の気仙沼訪問です。今回は私一人でお邪魔させて頂きました。
2日間かけて、宮城県と岩手県の計8か所で慰霊をさせて頂きました。

●平成25年1月13日 8時39分 気仙沼着。
【宮城県 南三陸町】
岩手県県職員S.Tさんの車で、宮城県南三陸町へ。
気仙沼から車で1時間くらいでしょうか。
人口約18000人のうち900人近くの方が死亡・行方不明となり、中心市街地では95%の家屋が流されてしまいました。
南三陸町の高台に上って町を見渡しました。
町には家の土台というより、流された家の床などが原形に近い状態で残っています。
復興どころか、瓦礫がようやく何箇所かに集められつつあるといった状況です。
町の中を走る車も少なく、たまに行き過ぎるくらいです。
仮設の商店街を見かけましたが、お客さんは来るのか心配になってきます。
何とか活気を取り戻そうと頑張っていらっしゃる商店の皆さんに、心からの応援の気持ちでいっぱいです。
南三陸町では、特別養護老人ホーム慈恵園と防災対策庁舎の2箇所で慰霊をさせて頂きました。

◎慈恵園
利用者67名のうち46名が亡くなられました。
高台にある施設の建物はまだそのまま残されています。
ガラスのなくなった窓にはカーテンが風に吹かれてなびいています。
靴箱には運動靴が残されています。津波の後、時間が止まってしまっているかのようでした。
水・酒・塩・ご飯・お菓子・お花をお供えし、S.Tさんが先ず 祓詞(はらえことば)を奏上され、その後、「慰霊」「慰霊の言霊」を2人で読み上げました。その後、S.Tさんが般若心経と真言を唱えられました。S.Tさんの言霊は、場を浄化し、御霊の悲しみや迷いを浄化するほどの力強いものでした。

◎防災対策庁舎
「津波が来ます。高台に避難して下さい」繰り返し呼びかけ続けて亡くなった遠藤未希さんのいらしたところです。
職員約30人のうち、助かったのは10人。
3階建て屋上にある5メートルほどのアンテナによじ登って助かった人もいます。
赤い鉄骨だけの3階建てを見ると、ことばもありません。
防災庁舎の周りにはいまだに海水が引いていません。地盤沈下のせいでしょう。
慰霊に次から次に人が訪れます。
皆さん、手を合わせ、無言で建物を見上げたまま立ちつくすばかりでした。

【宮城県 石巻市】
◎石巻市立大川小学校
児童108人のうち74人、先生方13人のうち10人が犠牲になられたところです。
北上川沿いにある小学校は河口から4キロ離れています。
堤防が高くて 校庭からは川が見えません。
そのために津波が来ていることが分からずに逃げ遅れてしまいました。
裏山は非常に険しく急勾配で、木々に捕まりながら這うようにしてでないと、とても登れそうにありません。
小学校5・6年生ならまだしも、1・2年生ではとても無理だと思われました。
校舎の鉄骨やコンクリートの柱などが折れたり曲がったり傾いたりして、津波の破壊力を物語っています。ご父兄の方たちのお気持ちは想像すらできません。
ただただ、安らかに皆様の御霊が天界に逝かれることを祈るばかりです。

【宮城県 気仙沼市】
 ◎地福寺・慰霊碑
午後、再び気仙沼市に戻り、地福寺で慰霊をさせて頂き、次に、地福寺からすぐの慰霊碑のところでも慰霊をさせて頂きました。
この2箇所は、前回11月18日にも慰霊をさせて頂いたところです。
海が近いせいか、風が強く吹き付けます。

 慰霊の後、社会福祉協議会に伺いました。
2月から始まる 被災された方たちとの交流会の打ち合わせのためです。
皆さんが楽しんでもらえるよう、暗中模索ですが、できる限りのことをさせて頂きたいと思います。
仮設の方たちに配るためのチラシを作って下さるそうです。
第1回目は、東京・横浜の会にいらしているK.Sさんに講師になって頂き、水墨画を教えてもらいます。
今からドキドキします。

 最後に早馬神社さんにお参りさせて頂きました。
満潮と地盤沈下のせいでしょう。神社のすぐ下まで海水が満ちていました。
傾きかけた夕陽の光が反射して、眩いばかりです。

宮司さん・禰宜さんと1時間くらいお話をし、唐桑地区でのボランティア活動について情報を頂きました。
養殖漁業の盛んな唐桑地区では1年中ボランティアを受け付けているそうです。
人数も少人数から150人くらいまで、時間も短くても長くても構わないそうです。
社員研修などで参加する企業も多いということでした。
仕事の内容は、牡蠣の種付けとか漁網作り?他、いろいろあり、漁師さんの説明を受ければ、素人でもできる作業だそうです。
足手まといになるのではという心配も要らないようです。

また、高さ9.9メートル、底辺の幅50メートルくらいの台形の防潮堤を作るという話が持ち上がっているそうです。
そうなると神社にも大きな影響が出てしまうでしょう。景観も大きく損なわれます。
また海の生態系も変わり、養殖を始め、漁業にも大きな影響を与えることでしょう。
自然の力とどのように付き合っていくのか。
先人たちの知恵と現代の最新技術とを、どのように融合させていくのか。
美しい三陸の海を愛する人たちの苦悩が思われます。

 夕方、神社を辞し、S.Tさんに、一ノ関まで送っていただきました。
 今日も一日、全てに感謝です。

南三陸町 慈惠園

気仙沼市 慰霊碑