気仙沼の報告 その24

  平成26年1月12日

平成26年1月12日 8時39分 気仙沼駅着。
 新年最初の気仙沼訪問です。
ここ数日寒さが一段と厳しくなり心配していたのですが、思ったほどの寒さではありません。それでも一ノ関のホテルから一ノ関駅までの道ではうっすら積もった雪が凍っていて、慣れない者にはおっかなびっくりの足の進みです。
 大船渡線車窓からの景色は気仙沼に近づくにつれて雪が少なくなっていきます。海岸部は内陸部より暖かいことが目に見えてわかります。
 今回はボランティアなどの作業はなく、仮設住宅の訪問と慰霊のために来ました。寒がりの私には、厳寒での屋外のボランティア作業は自信がありません。
 気仙沼駅で待っていてくださる岩手県県職員のS.Tさんの車に乗って、陸前高田市の仮設住宅へ出発です。


●陸前高田市 高田高校仮設住宅
陸前高田市中心市街地が眼下に広がる高台の仮設住宅には148戸の住宅があり、市内でも最大規模です。こちらでは朝8時半から10時まで、集会所で朝カフェ「珈琲日和」が開かれ、その時間帯なら誰でも無料でコーヒーが飲めます。Sさんも初めてこちらを訪れた時、いきなり中から呼び止められてコーヒーを飲まされた(?)そうです。住民の方たちも全体的に非常に仲が良いとのことでした。
 私たちは9時半ごろ到着しました。中では6~7名の方たちがコーヒーを飲みながらおしゃべりの真っ最中でした。Sさんはまだ2回目なのに、すっかり旧知の間柄のようです。すぐに話の輪の中に入って盛り上がっています。私も方言が話せれば、もう少し皆さんと打ち解けられるんですが、標準語だとどうしてもすまして見えるというか、気取って見えるというか、他人行儀な感じになってしまいます。でも下手に方言を真似してしゃべって、方言をバカにしているみたいに思われても困るし…。
 10時になるとカフェも閉店です。三々五々それぞれの住宅に戻って行かれます。私たちは、Y.Sさんのお宅にお邪魔させて頂きます。Yさんは50代後半くらいの女性です。ご主人は神奈川県に働きに出ていらっしゃるとのことで、普段は一人住まいだそうです。
午後2時半ぐらいまで、いろいろなお話を聞かせて頂きました。


震災当日は、高台にある職場にいました。午後2時46分、それまでに経験したことのない揺れを感じたそうです。まず頭をよぎったのは小学生のお孫さんのことでした。その時間帯は小学校にいるはずです。高台から、平地にある小学校に走って向いましたが見つかりません。自宅も捜しますが、いません。自宅を出て駅のほうを振り返ると、高さ4階建てくらいの真っ黒な津波が既に駅舎を飲み込んで迫ってきています。駅舎は自宅から約300メートルの近さです。無我夢中で駅舎と反対の方角に走ります。高台の斜面にある竹藪を必死で駆け上がります。
駆け上がったところにあった小屋に逃げ込みました。そこには既に10名以上の方が避難してきています。
娘さん一家と連絡が取れないまま、不安と恐怖と寒さの中で一夜を明かしました。
翌日、娘さんたちはYさんを、Yさんは娘さんたちを、互いに捜し回った挙句、ようやく巡り合いました。その後しばらく、親戚宅での避難生活が始まります。
幸いご家族は全員無事でしたが、義兄夫婦がお亡くなりになったそうです。お写真を見せてくださいました。和服の似合う福々しい方です。Yさんの声が涙声で震えます。未だに褪せない悲しみが胸に蘇えるのでしょう。

仮設住宅に移ってからのお話も伺いました。
日本全国から多くのボランティアが訪れ、今でも訪れるそうです。いち早く訪れたのは神戸からの大学生たちでした。足湯とマッサージ・サービス、そして手芸教室を開いてくれました。「針も糸もない」とこぼしたら、男子学生の一人から、自分が子どもの時に家庭科で使っていたと思われる裁縫箱が送られてきたそうです。
「あのときは泣けたねえ」。
Yさんの目が、またうるみます。
その他にも、毎月11日にはメールをくれる方、福岡から定期的に訪れて自動車代行サービスをしてくれる方、などなど。


震災後の心を支え、生きる力となったのは、こうした多くの方たちとの出会いだと仰っていました。
被災された方の中には、被災しなかったら出会う筈のなかった方と出会えた、多くのことを学んだ、世界が広がった、という方も少なからずいらっしゃいます。もちろん、震災そのものは、多くの方々の命を奪い、生活を壊し、心を引き裂きます。ズタズタにします。
でも、そうした方たちの尊い学びは、被災を直接経験しない者にも多くのことを教えてくれます。
そう考えると、神様は、私たち人類全体の学びや成長のために、一部の方たちの犠牲を強いたのかとさえ思えてきます。


●気仙沼市 早馬神社
 一日の締めくくりは早馬神社さんに参拝です。
梶原忠利宮司さんと息子の梶原壮市禰宜さんに、お正月の時のお話などを伺いました。神社は年末・年始は最も忙しい時です。神職というのも大変なお仕事だなと思いながらお話を聞いたことです。


今年から気仙沼には隔月の奇数月に訪れて、現地でできるボランティアをしようと思っています。S.Tさんには今年もいろいろお世話になりますが、よろしくお願いいたします。
 今日も1日、ありがとうございました。