気仙沼の報告 その28

  平成26年11月2・3日

気仙沼の報告㉘(平成26年11月2・3日)

◎平成26年11月2日 
今日はとてもいい天気で暖かです。この連休は天気が悪いという予報だったのに。
今回も、7月同様学生たちが参加します。
気仙沼駅前で、岩手県職員S.Tさん及び学生たちと合流。いろいろな大学から7名が集まってくれました。うち2名は7月にも参加してくれた学生です。
午前中はS.Tさんが被災状況を学生たちに説明してくださいます。午後は陸前高田のO.Fさん宅で、近くの仮設に住んでいらっしゃる方たちとの交流会があります。学生たちも張り切っている様子です。

●気仙沼市 魚市場
 魚市場の建物で、S.Tさんが津波の状況を説明します。同じ場所から津波の様子を撮影したDVDの映像は、まさにここで震災の時に津波が襲ってきたんだという臨場感があり、その緊迫した様子が伝わってきます。目の前の穏やかで真っ青な今日の海が、震災当日はどす黒い水の壁と化して内湾の奥まで流れ込んでいったのです。あちこちで石油タンクが爆発し、火の付いた漁船が内湾・外湾を木の葉のように漂います。撮影している方の呻きとも叫びともつかない声が映像と共に聞こえます。
固唾をのんで見守る学生たち。
魚市場には、荷を積む漁船が繋留しています。3年半前のことがまるで悪夢でしかなかったような今の魚市場。でも魚市場の周囲には、まだまだたくさんの震災の爪痕が生々しく残されています。

●陸前高田市 嵩上げの進む市内
 陸前高田に移動します。そこここにうず高く積まれていた瓦礫の山は姿を消し、代わりに嵩上されたピラミッド型の盛り土が市内に点在します。
もう一つ目を引くのが、山から市内に伸びる銀色に光るベルトコンベアです。山を切り崩し、その土をベルトコンベアで市内に運び込んでいるそうです。全長3キロメートルに及ぶベルトコンベアのおかげで、作業のスピードは3倍以上になったとか。
山を切り崩すことによる環境や生態系への影響はないのか。
嵩上げした土地に何を建てるのか。
市内に住んでいた方たちはどこに住むことになるのか。
嵩上げしたからと言って、どれだけ津波の害を防ぐことができるのか。
素人ながら、様々な疑問が頭をよぎります。

●陸前高田市 公営住宅
 海から1キロメートルくらい奥まったところに6階建ての災害公営住宅が2棟建っています。ベランダに洗濯物がはためいているお宅もあります。
ようやく取り戻した平穏な生活・・・。
震災の傷はもう癒えたのでしょうか。
家族に笑顔は戻ったのでしょうか。
そうであることを祈るばかりです。

●陸前高田市 O.Fさん宅
 午後はO.Fさんのお宅にお邪魔しました。O.Fさんは、震災前に住んでいらした土地に今年の5月ごろ、2階建ての家を建てられました。その建物で訪問リハビリを開始されたそうです。
午後2時過ぎに仮設の方たち3名が集まってくださいました。学生たちも3つに分かれて、仮設の方のお話を伺います。
私もそのうちのお一人のお話を伺うことができました。S.Mさん。70代の女性です。とても小柄でかわいらしい方です。
津波でご主人を亡くされ、避難所で5カ月ほど生活されたそうです。その当時は傍の人も声をかけられないような顔をしていたと、後から娘さんに言われたそうです。
立ち直るきっかけになったのは、O.Fさんが畑仕事に誘ってくれたことでした。初めは気が進まなかったけれど、ちょっとだけ花を植え始め、やがて野菜を育てるようになり、今では毎日のように畑に出て草取りをしているそうです。
知り合いも増えました。
最近は仮設住宅の一角で開かれるボランティアによる英会話教室に通うのが楽しみと顔をほころばせます。
「70歳過ぎて、初めて習ったの。皆には内緒だけど。」
「英語の歌も 3曲くらい歌えるの」
 恥ずかしそうに、嬉しそうに、そしてちょっといたずらっぽい笑みがこぼれます。

 夕方、O.Fさん宅の2階で、学生たちが自作のコントや合唱を披露します。
演じるほうも見るほうも、ひとつになって無邪気に笑い、思い切り拍手しました。部屋にこもる熱気で窓ガラスも曇ります。
 最後は集合写真。皆が銘々のカメラで撮ってもらいたがるので、なかなか終わりません。
名残りの尽きぬままに、仮設住宅は夜のとばりに包まれていきます。

●気仙沼市 仮設商店街
 夜は「はまらん家」へ。S.Tさんが予約を入れておいてくださいました。10人も座ればいっぱいになってしまう店内です。
ママも学生向けに、鶏のから揚げ、はまらん焼き(お好み焼きみたいな物)、卵焼きなど、次々に出してくださいます。学生たちも負けじと食べます。
今日一日の充実感に、学生たちも一段と元気いっぱい。
大いに盛り上がった夜でした。





◎平成26年11月3日

●気仙沼市 杉ノ下地区
最初に杉の下地区を訪れました。93名の方が犠牲になられた地区です。亡くなられた方のご遺族でしょうか。3~4家族が献花していらっしゃいました。語り部として5~6名の方たちに説明されている方もいらっしゃいます。
この犠牲を、震災を、風化させてはならない・・・。
私たち日本人全体の責務です。

●気仙沼市 階上(はしかみ)公民館
 9時半過ぎ、階上公民館のK.Kさんのところにお邪魔し、K.Kさんの楽しいお話を伺いました。奥様が作って下さったおむすびも頂きました。とてもおいしかったです。
 10時半ごろ、さんまのつみれ汁をご馳走したいと、調理室へ。材料もすべて整い、さんまも細かく叩いてあります。後は野菜を刻むだけ。私も頑張りました。主婦の腕の見せどころ?
 おいしいつみれ汁でした。すっかり暖まりました。
 学生たちが、また自作のコントや合唱を披露します。
 「楽しいなあ」
 K.Kさんが目を細めます。
私や学生たちには想像もつかないような苦労をされてきたK.Kさん。
戦前・戦中・戦後を、孤児として生き抜いてこられました。
無線通信士として遠洋漁業の船に乗り、家族には2年に1度しか会えない生活を送ってきた40年の日々・・・。
 「いいなあ、俺にはこんな時代、なかったなあ」
学生たちの明るくのびやかで屈託のない無邪気な顔を、愛(いと)しそうに、まぶしそうに 眺めます。
目の前の学生たちの姿に、10代・20代のころのご自分の姿を重ねていらっしゃるのでしょうか。その視線は穏やかで静かで、温かい光を宿していました。 
K.Kさんとの別れを惜しみながら、階上公民館を後にしました。

●気仙沼市 大谷海岸 ラーメン屋さん
お昼は、前回7月も学生たちと訪れたラーメン屋さんへ。ご主人は相変わらず優しい口調です。出汁の効いたおいしいラーメンを頂きました。
何もできないけれど、なかなか食べに来られないけれど、心から応援しています!

●気仙沼市 早馬神社
 最後は早馬神社さんです。正式参拝の後、梶原壮市禰宜さんが津波の映像を見せてくださりながら、当時のことをいろいろお話しくださいました。学生たちも積極的に質問します。やはり体験者のお話は胸を打ちます。
 学生たちとはここでお別れです。

●気仙沼市 気仙沼港内湾
 一か所だけ、港の一角で慰霊をさせて頂きました。日が短くなっていて、暗い中での慰霊でした。
イカ釣り漁船でしょうか。これから出港するような漁船が何隻も停泊しています。
 震災から3年半経ちます。
少しずつだけれど、震災前の生活が取り戻されつつあります。

夕方、一ノ関への道はすっかり暗くなっていました。
今回も2日間の日程を綿密に組み、調整をしてくださったS.Tさん、ありがとうございました。