気仙沼の報告 その5

  平成24年11月18日


 2回目の気仙沼訪問です。今回は、東京・横浜の会参加者のK.MさんとK.Sさんもご一緒です。
お二人とも東北は初めてとのことでした。

●平成24年11月18日 8時39分 気仙沼着。
午前
前回同様、岩手県県職員のS.Tさんが迎えにいらして下さっています。
早速、海沿いのお地蔵さんの立っている所へ向かいました。
S.Tさんが水・酒・塩・ご飯・お菓子・ジュース・花などを準備して下さっています。
器に入れてお供えし、「慰霊」を音読、合掌しました。
その後、数10メートル離れた「絆」の碑でもお供えと音読・合唱。
その地区では93名の方が亡くなられたそうです。風が強く、お供えも吹き飛ばされそうなほどでした。

午前10時、社会福祉協議会を訪問し、吉田恵子主幹さんに今後の支援についてご相談しました。
特別なことはできないけれど、一緒に歌を歌ったり、短歌などを読んで楽しく過ごしたい旨を伝えました。被災者の方たちから、そうしたニーズがあるかどうかは分からないけれど、取り敢えず声をかけてマッチングしてみるとのお答を頂きました。

K.Sさんのお嬢さん(O.Tさん)はお琴が上手で全国のコンクールでも3位に入賞するほどの腕前だそうです。
そのO.Tさんも日程が合えばご協力下さるとのことで、華やかな会が持てそうです。

その後、高台に移動し、その場所から津波の状況を写したDVDを見て、当時の様子をご説明いただきました。
巨大な漁船がぐんぐん流され、電柱もなぎ倒していく。
津波の力を見せつけられるような映像です。
目の前に津波を見ながら避難されていた方たちもさぞ恐ろしく、またどんなに辛かったことでしょう。

 お昼は特急寿司に行きました。
カウンター席に4人で並んで座ってお寿司を待っていました。
S.Tさんの右隣でビールを飲んでお寿司を食べている初老の男性UさんがS.Tさんに話しかけてきました。
週に3回くらい特急寿司に通っているそうです。

40年も遠洋漁業の漁師さんをされていましたが今は引退し魚市場で毎日2時間ほど働いているとのこと。
遠洋漁業は1年中航海して、1年に1回、1ヵ月半位家に戻るとまた航海に出るという生活だったそうです。
今回、津波の被害は免れたけれど電気もガスも水道もない状況で、1ヶ月半経ってようやくお風呂に入れたこと、
今は年金で生活しているが、その年金からいろいろ税金などを差し引かれてしまい残りはほんの僅かであること、
魚市場の時給は800円でそこから昼食代300円を引かれ、その残りのお金で特急寿司に来てお寿司とビール代合わせて1200円使っていること、
などをいろいろ話していらっしゃいました。
これから奥さんと年金でゆっくり老後を過ごす予定だったそうです。
漁師さんとして生きてこられた過酷な半生を思わずにいられませんでした。
話の中でUさんの息子さんはS.Tさんと同じ年齢であることがわかりました。
特急寿司のご主人の息子さんも、S.Tさんの高校と同じ高校で1学年違うということもわかりました。
地元の方たちのお話を聞くのは大好きなのでもっと聞いていたかったのですが、時間もないので、おいしくお寿司を頂いて店を後にしました。
Uさん、これからもお元気でお仕事をなさって、特急寿司に通って下さいね。

午後
 陸に打ち上げられた300トン以上の漁船や、唐桑の牡蠣祭りの様子を車中から見ながら陸前高田市に向かいました。

陸前高田市の有名な「奇跡の一本松」は今、京都の方で保存のための修復処理を受けているそうです。
震災以前は7万本もあったという松林と砂浜は、その面影さえありません。
前回と同じく、広い野原と化した市内を車で回り、被害の大きかった市庁舎跡へ。
途中、側溝の泥を掃除しているボランティアの人たちを見かけました。
御苦労さまです。小さなことの積み重ねが大切なのですね。
山形ナンバーのマイクロバスが停まっていました。山形からいらしたのでしょうか。

市庁舎跡と市民会館で、午前中と同じように慰霊をさせて頂きました。
言霊が届くことを願いながら。

唐桑に戻る途中、津波の被害を受けたお寺(龍泉寺)や神社を案内してもらいました。
諏訪神社では宮司さんが津波で亡くなられ、今泉天満宮では本殿もご神体も流され、一本のご神木とプレハブの社務所があるだけです。
どこも、氏子さん・檀家さんの9割が被災されました。
未だに復興の目途さえ立っていません。
震災直後は互いに助け合い、1日2個のおむすびも分け合ってきた互譲の精神も、今では互いの利権を優先する気持ちに変わりつつあるそうです。
震災から1年と8か月。復興の未来図が一向に示されないまま、ただ無為に日々を送る方たちの焦りや苦悩を思わずにいらせませんでした。

午後3時過ぎ、早馬神社へ。
正式参拝の後、宮司さんと禰宜さんのお話を伺いました。
宮司さんご一家は全員ご無事でしたが、そこにはまさに奇跡、いえ神仕組みとしか思えないことが起きていたのです。
唐桑地区の復興のためにご尽力された宮司さん・禰宜さんのお話に、再び感動を新たに致しました。

気仙沼にいらっしゃる機会のある方はぜひ早馬神社に参拝して、宮司さん・禰宜さんのお話をお聞きになって下さい。「神仕組み」の意味に納得されるでしょう。

神社もそろそろ新年の準備でお忙しくなる時節です。宮司さん・禰宜さん、ご家族の皆さん、どうかお元気でお過ごしください。

この秋一番の寒さ(外気温は0度にまで下がりました)となった気仙沼を後にして一ノ関に向かいました。
戦後の占領政策により教育が破壊され、日本人の精神性が急速に失われて、いよいよ危機的な状況となった中で起こった今回の大震災には、何か大きな意味があると思えます。
今こそ日本人の役割が重要なのではないかということを、S.Tさんと話し合いました。

今回も1日、休日返上でお付き合いくださったS.Tさん、本当にありがとうございました。
これからも毎月、気仙沼に訪れたいと思っています。復興のために何のお役にも立っていませんが、1人でも2人でも、被災者のお気持ちを慰めることができればと思います。