気仙沼の報告 その10

  平成25年2月11日

気仙沼の報告⑩ (平成25年2月11日)

●平成25年2月11日 8時39分 気仙沼着。
 今朝も一ノ関のホテルから真っ赤な朝日が見えました。少し寝不足気味ではありますが、頑張ります!

 午前中は、気仙沼市の慰霊碑と地福寺、300トンの漁船の打ち上げられている所の3か所で慰霊を行いました。
小雪が風に吹き飛ばされるように降っています。
漁船のところでは、お二人の方がお掃除をされていました。毎月11日にいらしているそうです。
震災から1年11か月。毎月の月命日。
献花やお供え物を黙々と片付けているお二人のお姿に、ことばでは表せない想い、ことばにはならない想いを見る気がしました。

午前10時半、早馬神社へ。梶原忠利宮司さんと梶原壮市禰宜さんから震災後の復興のお話を詳しくお聞きしました。神社の境内には津波の記念碑があります。その裏面の「復興完了日」を記入するところが空欄になっています。復興の完了とは、漁業が震災前以上に賑わうこと、仮設の方たちが全員、高台移転をすること、だそうです。
「復興完了の日付を碑に入れるときには 涙出るだろうなあ」
小さい声で呟かれました。
いつも穏やかでにこやかな宮司さんのお顔が、涙でくしゃくしゃになるのを早く見てみたい。
きっとその日は遠くないですよね!宮司さん。

午後2時から4時まで、切通(きりどおし)地区の仮設住宅集会室で水墨画教室です。
今日も社協の方が4名お手伝いをして下さいました。
階上(はしかみ)地区と異なり、こじんまりとした畳の部屋で、10人も座ればいっぱいです。
60代から80代くらいのおばあちゃんたちが集まって下さいました。1人男性もいらっしゃいます。
昨日と同様、筆を持つのは何十年ぶりだと、始まる前から皆さん楽しそう。
練習用の半紙を見て、
「昔は練習は新聞紙に書いたんだよ」
「半紙は清書用に取っといたんだよ」
口々にもったいながっています。物を大切にし、愛しむように物を使う心が とても懐かしく、そして慕わしく感じられます。
約1時間の練習時間。
「うまく描けないね」
「スウっ、スウって、口ではいぐらでもうまく言えるけんど、手が動がねんだな」
「あっら~あんだ、上手だね」
「あっら~、褒めるの上手だごど」
笑い声が、あちこちで起こります。
一番前のおばあちゃん2人は82歳だそうです。「82歳のコンビだよ」と笑います。
S.Tさんがすかさず「28歳でねえの」と言うと、「んだんだ、28歳だ」とおばあちゃん。
とても朗らかで明るくて笑いが絶えることはありません。お1人は洋裁のお仕事をされていたとのこと。描いている途中、膝が痛くなって、「お行儀悪いごどね」とすまなそうに言いながら、前に足を伸ばされます。1時間も座るのは、辛かったかな。ごめんなさいね。おばあちゃん。
いよいよ色紙に描く時間が来ました。ここでも皆さん、色紙に描くのをためらわれます。
K.Sさんが「うまくなくていいんですよ。楽しみましょう!」と励まして、ようやく描き始めます。
午後3時半には全員描き終わって、互いに見せ合っています。皆さんのお顔に笑顔が広がります。
最後に「行け行け、お茶っ子体操」を踊り、お菓子を食べてお開きです。

車に乗って集会室を後にするときには、寒いのに屋外に出て手を振って下さいました。膝の痛いおばあちゃんも窓の中から手を振ってくれています。
また来ますね。また来させて下さいね! ありがとう!!
私たちも見えなくなるまで手を振りました。

一ノ関駅に向かう車中でも、3人とも感動の興奮が冷めません。皆さんの笑顔と優しさ・明るさ・強さがいつまでも胸を熱くしています。
皆さん、まるで生まれたての赤ちゃんみたいな、可愛らしくて純粋無垢な方たちでした。
今回も、とても大きな大きな感動と感銘を頂きました。

S.Tさん、K.Sさん、2日間ありがとうございました。